始まらない、それとも始まってるのか
良い瞬間に立ち合ったとき、喜びに溢れる。
自分がつくる喜びを知ってしまったから、他人がつくったものには悔しさも同居する。
こんなに良い瞬間に出会ってきたのに、今の自分はからっぽである。
いや、詰め込みすぎてからっぽになってしまった。そんな感覚がある。余白がないというか。
現実を避けるように突っ走った。散歩が好きなのにただ走った。景色を見ないようにするかのように。
ひとりでは走れないと思ってたけど、ひとりで走んなきゃ走れないと知った。現実は常に孤独だ。
だいぶ歳をとってしまった。けれど挑戦者たちを見ていると挑戦者は挑戦し続けることでしか生きられない様子だから歩みは遅くてもいいのかもしれない。何歳から始めたって命果てるまでやり続けることには変わらない。
人に話す機会を少しずつもらうようになってきてわかることがある。凡人には凡人の言葉のほうが伝わりやすい。だから普通の芸能人とか大事なんだろう。
意外とこういうポジションは少ない気もする。凡人の位置から動かない人は結構少ない。
凡人なんていないって言う人もいるけれど、それは逆に凡人を馬鹿にしてる。凡人は一番数が多いから動かせたら強い。人間の歴史は凡人が結構動かしてきた。
たいした学もないのに少し成功したからといってそれっぽいこと言ってる凡人は一番かっこ悪い。そこに群がるビジネスマンたちも気持ち悪い。どれだけ有名になってもくだらないことやって笑ってる人たちが一番格好いい。個人的な好みの話である。
どこへ向かおうとしているのか、暗闇に突っ込んでいくのは慣れているが、何度やっても自分は臆病者だ。
引力がなくなってきた感じがする。衝動で動けなくなってしまったのかなんなのか。薄っぺらさが戻ってきた。またゼロから始めるのか。あー嫌だな。
しなないシステムは出来たのかな。わかんないな。新しいどん底を味わえたから少しは成長したかな。代わりに感情を喪ったのは哀しいけど。
たくさんの始まりを見てきたと自負している。始まりをたくさん見てきたからといって自分が始められるわけではない。始めたはずだったんだけど自分の愚かさで始まらずに終わった。目指したい場所くらいは決めないとやっぱりだめなんだな。走るのは向いてない。
過去に植えられた種たちが咲いてきて花の匂いがしてくることも増えてきた。あの時代に旅をして、あの時代を見てきたからこそ、手触り感のある記憶が残っている。二次情報じゃ伝わらない、生きた記憶が風に揺られて言葉として舞っていく日が来ている気がする。
他人に影響されやすい自分は、誰かと歩くのは結局あんまり向いてないのかもしれない。ひとりで歩く方が誰とでも仲良くなって、誰とでも楽しく話せる。
ここ数年、世界が狭くなってたんだなと気がついてしまった。それは自分のせいだから仕方ない。
過去じゃなくて、常に現在を話せる人でありたい。今は過去に捕らわれ、過去に支えられている。
思い切って立ち止まろう。整理できるくらいにはぐちゃぐちゃになった紐を切りまくったんだから。ほどけないなら切ればいいと思って切りまくった。切れないものだけが残るからわかりやすい。
毒か。毒を使いこなしてるときのほうが調子いい気がしてるので毒男になろうと思います。では。