おーちゃん

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最近の記事

始まらない、それとも始まってるのか

良い瞬間に立ち合ったとき、喜びに溢れる。 自分がつくる喜びを知ってしまったから、他人がつくったものには悔しさも同居する。 こんなに良い瞬間に出会ってきたのに、今の自分はからっぽである。 いや、詰め込みすぎてからっぽになってしまった。そんな感覚がある。余白がないというか。 現実を避けるように突っ走った。散歩が好きなのにただ走った。景色を見ないようにするかのように。 ひとりでは走れないと思ってたけど、ひとりで走んなきゃ走れないと知った。現実は常に孤独だ。 だいぶ歳をとってしまった

    • マゾ

      この文章をなぜ書き始めたのかわからない。 そんな気持ちだから今これを書くのだろう。 やりたいこととはなんだろうか。 よく言うけど本当に重要? やりたくないことだから挑む感覚の方がしっくりくる。 やりたいことやり続ける先には崩壊しかない。 やりたくないこともやって、ちゃんとしたこととして続くようにしていく。 やりたいことやり続けた日々の末路はからっぽ。 自問自答の末に、不正解とわかってることを選ばないといけないこともある。 いなくなることで完成するものもある。 無責任と言われて

      • 異常なほどにまっすぐな愛に突き進むきみをぼくはどう捉えたらいいのだろうか

        タイトルに意味はありません。 昨日ひさしぶりにメゾンブックガールの音楽を聴いた。 友人に会いに行って帰りが遅くなった深夜の帰り道。車の中で大きな音を出しながら、変拍子のリズムに没頭した。 北海道に帰ってきて5年。もう東京時代のことは記憶の彼方なんだけど、あの頃ひたすらに反復した行動や感情が、自分の柱を形成していたことに振り返ると気がつく。 その繰り返しで人間は年輪を厚くしていくのだろうか。 今じゃ散歩好きとか、ゆっくり歩こうとか、スピードを遅めることに価値を置いてるん

        • ぼくたちはなにかを残すということについて、もう少し真面目にかつ柔軟に時にはおふざけもいれながら考えないといけないのではないか?

          ちょっとめんどくさいタイトルなんですが、けっこう本気でそのようなことをずっと考えているので文章にしてみる。 持続可能という言葉がこの世界を駆け回る2023年くらいでしたが、なにかを持続させるということはつまりどういうことのことを言っているのだろう。 持続をググってみると「長く続くこと。もち続けること。」と検索結果に表示された。(2024年1月30日時点) 次にChatGPT3.5に聞いてみた。 ということでした。 賞味期限が短い新しいものを生成して、それを無尽蔵に生

        始まらない、それとも始まってるのか

          塗る

          深夜に仕事をして捗ってしまうのは、ギリギリが好きだからなんだろう。 こんな時間なのに、文章を書きたくなってしまうのもギリギリを生きる瞬間を書き留めておきたいからなんだろう。 これからどう生きようか。そんなことをまた考える時期がきた。 社畜的な場所にひさしぶりに所属してみて、もう戻れない生き方をしてしまったんだなと実感する日々だった。 選択することを続けて巡ってきた縁たちがいつも声をかけてくる。 「それでいいのか?」 もう心が欲していないものを選べなくなって久しい。 お金

          自分が何者であるか

          今日見たドラマがすばらしかった。ぼくはそれだけで人生が豊かになれる単純な生き物だ。 ドラマを見て、自分がどう人生を歩んできたのか、少し考えるキッカケになった。 わたしは子どもの頃からワガママな人間だった。いや正確に言うと、幼少期を過ごした田舎から幼稚園に入る歳になって都会に出てきた頃にワガママな人間になった気がする。 自分の意見を曲げられなくて、喧嘩したり、ふてくされたり、いつも意見を押し通してきた。それが自分が心地良く生きる手段だった。 自分は凡人で、そんな凡人が信じられな

          自分が何者であるか

          田舎を好きになってみたかった

          良いラジオを聞いていると文章を書きたくなるのはなぜだろうか。ちょっと最近の気持ちについて書きたくなった。 このまちに来てから、いつの間にか毎日幸せな気持ちで過ごせている。 毎日広い空を見て、おいしい野菜を食べて、一緒に笑ってくれる仲間がいて、家に帰ったら家族がいて、豊かな生活ってこういうことなのかな? おすそ分けなんて本当に存在しているのかずっと疑問だったけど、最近はこのまちで採れた野菜しか食べていない。 昔は知らないことがひとつずつ減るたびに、辛いことが増えていくこ

          田舎を好きになってみたかった

          生き物

          ぼくたちは遊牧民のような生き方を選んだ。 自分が心地よく、楽しく暮らすためにはどうしたらいいのか、それを小さく実験し続けた結果、この都市でも田舎でもない街にたどり着いた。 大きななにかに影響は与えられなくても、小さな範囲で行動し続ければ、目の前の人の幸せくらい作れるのではないか。それが北海道に戻ってきて、より現場に近い所で活動し始めるときに考えたことだ。 すべてのことは目的を達成するための手段であり、社会の仕組みですら変えられるかもしれない対象だ。一億何千万の人口を支配す

          ずっとパズルを並べ替えている

          ゼロイチって言葉をたまに聴くけれど、0と1で出来てるのはコンピューターと同じで人類に無から有を生み出すことなんて出来ないと私は思う。 自然があって、地球があって、素材を変化させて人間は新しいものを生み出してきた。宇宙でもあるまいし、僕たちに0から何かを発生させる力なんて備わっていない。 なにかを想像することは、あらゆるパターンを考えて、物事を組み合わせたり、組み換えたりすることで新たな発見を探すパズルのようなものと僕は考えている。 自己中心的な性格に思われがちだが、実は

          ずっとパズルを並べ替えている

          だれのことも意識しないで過ごせる状態がひとりっ子の自分には心地よいんだろうなと思った話

          7月に入ってから心が動く出来事ばかり起こる。もう少し誰かに伝えることを意識して書いてみようと思って、noteのアカウントをもうひとつ作った。それなのにキーボードを叩いてみても言葉が浮かんでこない。 きっと誰かを意識して発言をすることが得意じゃないんだろうな。会話するときも出来たら1対1で常にしていたい。だからここに綴ろうか。誰も意識しないで今日感じたことを。 人生って不思議なことが起こる。偶然とは思えない出来事が突然舞い込んでくることがある。でも実際は、レールを脱線して自

          だれのことも意識しないで過ごせる状態がひとりっ子の自分には心地よいんだろうなと思った話

          空知で暮らす

          ぼくは今、空知で暮らしている。 なぜ、ここに行き着いたのか。理由を聞かれても、ちゃんと言葉にしてこなかった。考えていることが抽象的すぎて「呼ばれていたから」といった表現をしてごまかしてきた。 そんな理由で移住できるほど、自信もスキルも金もない。人生をかけて実現したいことがあるから、ここに来た。 ・・・ ぼくは子どもの頃から、臆病で我儘なやつだった。他人にどう思われているか気になるから、その場の空気が良くなるようにいつもチャラけてた。 そのくせ納得いかないことがあると

          空知で暮らす

          本の中の少女

          人生において、一番好きなグループが活動を終えた。最後の音楽が途切れたとき、ぼくは新しく買ったパソコンのモニターの前に座っていた。 いろんな感情が渦巻く中で、ぼくは自分の人生にとって Maison book girl とはなんだったのかと考えることしかできなくて、文章にしてみたいと思った。 二年前に東京から北海道へ帰ってきて、アイドルのライブへ足を運ぶ回数が激減した。緊急事態宣言なんて言葉が当たり前になるまでは、好きなグループの大事なライブにはどんな理由があっても行くのが当

          本の中の少女

          おいしいとは

          私はテレビっ子だった。今は好きな番組だけ録画して、録り貯めたものを好きなタイミングで見る。 録画するようになって、ほとんど旅番組しか見ていないことに気がついた。ローカルな場所で出会う物語、それを見て同じ体験をしたくなる。テレビの定番の楽しみ方じゃないかと思う。 今、マツコ・デラックスが徘徊してひたすら食べる番組を見てる。このご時世で徘徊できないので、過去に訪れた場所を集めて編集したバージョンだ。いつも見ているから、ほぼ内容を覚えているものばかり。 本当にマツコさんはうま

          おいしいとは

          ミライのきみへ

          未来は君が歩いてきた道の延長上にしか続いていない。そんな実感を何度味わって、何度忘れてきたのだろうか。環境を変えるとき、いつも思い出すことがある。自分は人に恵まれてる人生だってことを。 ぼくにとって最高の喜びは、他人の人生の変化の瞬間を見届けることだ。自分の言葉がその人の行動したい動機と共鳴して、動き出したときにぼくの心は満たされてきた。おじさんには何を言っても届かないから、心が多感な時期である若者が好きなんだと思う。 自分自身も他人の言葉に人生を動かされてきた。いろいろ

          ミライのきみへ

          つまり地層のようなこと

          人は自分の経験の中からしか物事を判断できない。これは三十数年生きてきて、思うようになったことだ。 誰かになにかを相談されたときに相手の立場になって考えようとすると、相手と似た人を思い浮かべるか、自分が似たような感情になったときのことを思い浮かべて話すことが多い。いくら想像したところで経験したことがないと、自分の頭では理由にたどり着けない。だから事例を捜し当てるのだ。 社会経験が増えてから、自分の想像を疑うようになった。自分の見てきた景色の中から、経験をかき集めて話しても伝

          つまり地層のようなこと

          自分と向き合う日

          今やりたいことはなんなのか?ずっと継続できることはなんなのか? 自分の脳味噌から発信されることを素直に受け入れて、初めて行動に移したのは27歳の春だった。 新卒で入った会社で5年過ごして、やらなきゃいけないことを受け入れて、やりたいことを実行する器用さも少し身につき始めていたと思う。 だけど、目の前の好きなお客さんたちの「仕方がない」に向き合うことに疲れてしまっていたのかもしれない。 目に映る表情と耳に入ってくる言葉の差に、僕の妄想は敏感だった。 僕の脳味噌は叫び続

          自分と向き合う日