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【滝口寺伝承(1)横笛】小さな愛の寺

滝口入道


ある高野聖がおりました。名を滝口入道と申します。

在俗のときの名を斎藤滝口時頼と申しまして、名門滝口武士の出であったことから13歳で召し出され、小松殿(平重盛)の衛士をしておりました。

ある日時頼は、建礼門院(徳子)の雑役に従事する下級の侍女であった「横笛」という名の娘と出会い、恋に落ちます。

時頼を良家の婿にして宮仕えをさせようと思っていた時頼の父は、娘の身分の低さを理由に、結婚を猛反対します。

父があまりにも苛烈に諫めるもので、時頼は横笛との結婚をあきらめ、19歳のときに出家してしまいます。

「老少不定の世の中は、石火の先に異ならず。……思はしきものを見むとすれば、父の命に背くに似たり。」

「老いも若きもどちらが先に死ぬか分からないようなこの世の中は、火打石の火花の一瞬と変わらない。70、80歳まで生きられるわけでもないし、そのうち血気盛んな時期など20年くらいしかない。好きでもない女性と一緒にいることに価値などあろうか。好きな人を妻とするのが、父の命令に背くことであるならば、いっそ世を捨ててしまおう。」

仏門に入った時頼は滝口の出であることから「滝口入道」と呼ばれます。

嵯峨にある往生院という寺で、時頼が仏道の修業をしていると伝え聴いた横笛は、「私を捨てて出家したのは仕方ないにしても、なぜそれを伝えてくれなかったのか。会って恨みごとのひとつも言ってやりたい。」と思い立ち、連れを伴い都を出て、嵯峨へ向かいました。

時期はニ月。梅の香りが漂ってきて横笛の悲しい気持ちを紛らわしてくれますが、往生院の場所がどこだか判らず、横笛たちは右往左往してしまいます。そんな時どこかの僧房から念仏が聴こえてきます。これは時頼(滝口入道)の声に違いないと思い、連れの女性に「仏門に入った姿であっても、一目お会いしたいのですが。」と聴きに行かせました。

その様子を襖越しに見ていた滝口入道は、「横笛のことを気の毒に思うが、会ってしまえば自分の気持ちが変わってしまう。」と思い、別の僧に「そのような者はここにいない。お門違いであろう。」と語らせ、横笛を帰しました。

横笛は情けなく、恨めしい気持ちになったけれども、頼りなく涙をこらえて都へ帰って行きました。

滝口入道は同宿の僧に「ここは静かで修業に良かったのですが、不本意にも別れた女性にここを知られてしまいました。一度は納得して帰ってもらったのですが、自分を慕う気持ちが強ければ、きっとまた訪ねてくるでしょう。そのようなことになったら自分も気持ちが揺らいでしまいますので、こちらを出ていきます。」と伝え、往生院を出て女人禁制の高野山へ旅立ちました。

しばらくして滝口入道は、横笛もまた出家したことを伝え聴き、一首の歌を送りました。

そるまでは 恨みしかとも梓弓 まことの道に 入るぞ嬉しき

「あなたが尼になるまでは、さぞや私のこと恨んだことでしょう。でも、あなたが私と同じ仏門に入ったと聴いて、私はとても嬉しいです。」

それに対し横笛はこう返歌をしました。

そるとても 何か恨みむ梓弓 引きとどむべき 心ならねば

「尼になったからといって、何もあなたのことを恨んでいません。引き止められないほどの、あなたの決心だったのですから。」

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横笛は奈良の法華寺に入り、滝口入道に想いを馳せながら過ごしておりましたが、ほどなくして亡くなりました。

これを聴いた滝口入道は、いよいよ修行に専念しました。やがて親不孝を許され、人々から慕われる高野聖になりました。

ある日、三位中将(平維盛)が高僧になった滝口入道に会いたいと思い、高野山を訪れました。

都仕えのときは立烏帽子姿に髪を撫でつけた華やかな男だったのですが、会った時には、痩せ衰え、深く仏道に帰依した老僧姿になっておりました。

まだ三十歳手前ではありましたが、この高野聖の高潔なさまを見て、三位中将はうらやましく思いました。

のちに滝口入道は紀伊勝浦で三位中将の入水にも立ち会ったとも言われています。

おわりに

これは平家物語の巻十「維盛高野」に登場する小さな愛の物語です。

往生院で追い返され、どうにも気持ちが治まらない横笛は、指を切って流れ出た血で、そばの岩にこう記しました。

「山深み 思い入りぬる柴の戸の まことの道に 我れを導け」

「山深い荒寺まで、仏道に入ってしまった彼のために来たのだから、会わせてください。」という気持ちでしょうか。

滝口入道が念仏修行をしていた往生院は、その名にちなみ現在「滝口寺(たきぐちでら)」と名を変え、嵯峨の山の中にひっそりと建っています。そして今でも横笛が血で記したとされるその岩を見ることができます。

「源平盛衰記」よると横笛は出家せず、「片想いのまま、いかにながらえよう」と川に身を投げて17歳で亡くなってしまったそうです。滝口入道は横笛の死を悲しみ、彼女を弔うために各地を行脚し、やがて高野山へ入ったとも伝えられています。

ふたりの交わした歌はいずれも「梓弓」が使われており、剃髪を意味する「そる」あるいは「引き」(止めることのできない心)にかかっているのですが、私的には梓弓は「引かれるもの」ですから「惹かれる」という意味もあるのではと思っております。

横笛が歌った岩の歌と、滝口入道への返歌のニ首が本当であるならば、「身分が低い」と言われた横笛も、またそれなりに教養のある女性であったと思われます。(建礼門院の侍女になるくらいですから)

嵐山駅から自転車でも25分くらい。「そこ」に行こうと思わなければ決して行くことのない、小さな古寺の、小さな愛の物語です。

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2019年初夏 滝口寺にて

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