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龍馬遭難の地 伏見寺田屋へ

最後の「おち」まで読んでいただけると嬉しいです。

昨年末、京阪電車に揺られて京都伏見へ。
京阪は乗り心地がいいなー(*´ω`)

午前中に現地取材を兼ねて石清水八幡宮へ行った帰りしな、酒処伏見でお正月のお酒を買うついでに「寺田屋」に行ってみようということになりました。

京阪中書島駅から徒歩5分か……。お腹空いたから、とりあえず駅前で何か食べてから見に行こう……と思いきや、ご飯を食べるところがほとんどなく、探しているうちに寺田屋に到着してしまいました。
(;´・ω・)💦グーペコ

寺田屋へ

ここ宿屋「寺田屋」は薩摩藩の定宿であり、明治維新の立役者、坂本龍馬が泊まっていたことで有名です。
そしてここで起こったのが寺田屋事件ということになるのですが、混乱するのが、1862年の薩摩藩士粛清事件1866年の坂本龍馬襲撃事件が両方とも寺田屋事件と呼ばれている点です。

そうだ、高校時代もなんか混乱した気がする(@_@)ヤマカワ?
(しかも池田屋と寺田屋でも混乱。)

ですから、両者を区別するために薩摩藩士粛清事件は寺田屋騒動で、坂本龍馬襲撃事件が寺田屋遭難と言われることもあります。

翌1867年末、龍馬が襲撃されて命を落としたのは四条河原町の「近江屋」です。(こちらは一昨年、飲みに行った帰りの道端にいきなり史跡があったので驚きました。)
ですから、龍馬が寺田屋で命を落としたと思われているのかな?合掌する観光の方も散見されました(別の意味でしたらごめんなさい🙏💦)。

拝観料を払って、いざ内観。おおー幕末、維新がお好きな方にはたまらない写真の数々。2階に上がると破れた襖、刀痕、弾痕など当時を彷彿とさせる生々しい状況(; ・`д・´)💦

刀痕⁉/弾痕⁉

昇ってきた階段と逆側の階段がいわゆる「お龍さんの階段」。そして1階に降りるとすぐに「お龍さんの湯殿」が見えます。なるほど、お龍さんはここで湯船につかっているときに、外に伏見奉行の捕吏がいることに気付いて、裸のまま階段を駆け上がって龍馬らに迫る危険を知らせたのですねー。
おーテレビでやってたやつだ。
(=゚ω゚)ノ スゲー フクヤマ

これがあの⁉階段⁉

坂本龍馬襲撃事件とは?

事件のあった1866年(慶応2年)3月9日はどんな日だったかというと……「薩長(長薩)同盟」の2日後(翌日との説も)です。坂本龍馬や中岡慎太郎の斡旋により、当時犬猿の仲だった外様の雄、薩摩藩と長州藩の軍事同盟が締結された歴史的大転換の日……の翌々日です。

薩長同盟を取りまとめ、ほっとして寺田屋に戻った坂本龍馬は、同宿の長州藩士三吉慎蔵に事の次第を話していました。深夜2時、伏見奉行所の捕吏およそ30名に包囲されていることを、お龍さんから伝えられます。

踏み込まれた龍馬は高杉晋作より護身用に渡された短銃スミス&ウェッソンNo.2 で応戦。捕吏2名を射殺し、数名を負傷させましたが両手親指に深い傷を負い、刀が振るえず、銃弾も装填できません。

同席の三吉慎蔵は槍を持って手負いの龍馬を護衛しながら宝蔵院流槍術免許皆伝の腕前で捕吏をなぎ倒し、裏口から脱出します。路地を逃走して材木屋の物陰に隠れてやり過ごし、駆け付けた薩摩藩に救援され九死に一生を得ました。

このタイミングでなぜ?龍馬が襲撃を受けたかについては諸説ありますが、寺田屋に不特定多数の不逞浪士が出入りしているという情報は奉行所に把握されていたようです。政情不安定な時期でしたので、奉行所も京都の治安維持に躍起だったと思われます。

龍馬、近江屋にて死す。

龍馬はこの翌年(1867年)前出の近江屋で再び襲撃を受け、31歳の若さで明治維新を見ることなくこの世を去ります。この近江屋での襲撃は京都見廻組佐々木只三郎らの実行とされています。

明治維新後、元京都見廻組の今井信郎がこれに関与したとの証言があります。襲撃の理由については、「寺田屋の件において坂本龍馬には捕吏を射殺し逃亡した咎があり、正当な公務執行(報復?)であった。」と今井は語っています。

皮肉なことに、この寺田屋での龍馬の遭難が、のちの近江屋事件の引き金になったとの説が現在では通説とされています。(近年の研究で、新選組襲撃説、御陵衛士襲撃説、また薩摩藩黒幕説、紀州藩黒幕説、陰謀論などの諸説はおおよそ否定されています。)

でも、命狙われたんですから、防衛するし、逃走しますよね……。

おわりに

「もしも龍馬が生きていたのなら。」そんなことを考えた方も多いのではないでしょうか?私もその一人です。

坂本龍馬は現代を生きる私たちに多大な影響を与えた人物であり、私、桜にとっても永遠のヒーローです。陳腐な言葉ですみません(;´・ω・)💦

腹ペコですが、私、心は満たされております!もうすぐ新しい年の夜明けぜよ!

気分は高揚し、ズンズン伏見桃山駅まで歩くと、めっちゃ食事するとこあるがぜよ!
商店街も年末の活気に溢れています。

寺田屋に行くなら伏見桃山駅から行く方が良いかもです。カッパの黄桜、月桂冠など、たくさん酒蔵もありますので、お酒好きの方は散策してみてください。きっとお気に入りの一杯に出会えると思います。

私は伏見桃山商店街の酒屋の亭主に勧められまして、斎藤酒造の「英勲」と「古都千年」を買って帰りました(^^♪

私が購入した「英勲 純米吟醸 生原酒24h」は2018年酒ワングランプリ受賞品だそうで(^ω^)

どちらもおいしかったです!

おち

現在の寺田屋は明治時代に再建されたものだそうです。
龍馬が宿泊していた寺田屋は、現在の寺田屋の隣辺りにあったそうで、鳥羽伏見の戦いで焼失したそうです。

え~なんそれ(。´・ω・)? 
刀痕は?弾痕は?お龍さんの階段はなんぜよ?

ですから、キャプションに「⁉」をつけておきました。

最後まで読んでいただきましてありがとうございました!


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