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推しの結婚/さもしい心#日記59

「推し」という概念は正直好まない。

だけど、この傷心はなぜ起こるのかを端的に言うと
それは推しが結婚してしまったことにある。

私はその人のことが好きだったのかというと
そこまでのことは知らなかった。
顔が好き。

いうなれば、現実に好きな人に顔が似ていた。
そしてバンドマン"なのに"浮いた感じがないギターオタクで
知的に話す彼が好みだった。

これまでも、応援していた俳優さんやアイドルが結婚したことは何度もあるし
そのたびに「おめでたい」そう心から思っていた。

なのになんで。。

今回こんなに悲しい?
寂しい?

ひとつわかっているのは
結婚相手を認めていない自分がいるということ。

でもこれまでネットで結婚に怒るファンを側からみて
なんで人の幸せを素直に喜べないのだろうかと不思議だった。

でも今回の推しの結婚は、私にその感情を持たせた。

そもそも認めてないってなんでだよ笑

そういう客観的な私もいるが、なにかを許せない気持ちが残る。
じゃあ誰なら良かったんだよ。。

理不尽な怒りすぎて自分でも気持ち悪いけど
本質は、自分なら彼に見合うんじゃないかと気高くいた自分のさもしさ。。
彼を推していたというのに、彼と並べるとどこか思っていた奢った部分に幻滅している。。

自分が残念すぎる。。。

結婚するひと
結婚しないひと
できるひと
できないひと
いろいろあっていいと思っている。

全員が同じで全員が同じものに「〜〜としての価値」を持っているのはおかしいから
どれになっても幸せになれる。

だからわかりやすいもので幸せになろうとしてない自分もいる。
自分で自分を不幸にしている。
でもそんな自分がいて助かっているひともいるのだろう。

安心するひと
見下すひと
勇気づけられるひと

私という存在でさえも誰かを肯定できるという事実。
だから自分は自分じゃなきゃいけないなと思う。

べつにアイドルでもなんでもないけど、
自分でさえもモデルケースとして存在して居ないとダメなんだなあという摂理。

ダメだと消えなきゃなんてことはないんだよね〜

なぜか人生論を語るみたいに最後なってしまったが
なにが言いたいかと言うと
表舞台にでて、だれかの応援で出来ているひとは本当に大変だ。

他人の幸せを幸せと思えるこころの余裕がもう少し欲しいところだ。

これ打ってるとすこし安心してきた😌
私はどうやって自分を幸せにしましょかね。


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