『古今和歌集』でAIアート㉞〜在原業平〜
訳:このようなことになった事情も忘れてしまい、これは夢ではないかと思います。思いもしませんでした、雪を踏み分けてあなたを見ることになろうとは(引用:『100分de名著 古今和歌集』渡部泰明著 NHK出版
こんなシチュエーションに踏み込む勇気と忠義を持っていた在原業平に、私は感服します。
いくら天皇の第一皇子だった方とは言え、出家してしまった惟喬親王を、比叡山の麓まで訪ねようと思い立つ時点で、並大抵のことではないと思います。
それは、業平がよほど惟喬親王にお世話になっていたとしても、惟喬親王の人柄や歌にどれほど魅力があったとしても、です。
業平が惟喬親王を訪ねてみたところ、そこは人の足跡どころか獣の足跡さえまばらな雪深い山。
奥の方に小さな荒屋が見え、微かに人の暮らしを想像させる灯がぼんやりと漏れています。
「あそこで暮らしているのが、かの親王なのか、、とても信じられない、、、」
と、業平が驚き、嘆き、その感情のブレがこの歌を詠ませたとしたら、私は何だか共感してしまいます。
どれだけ栄華を誇れった瞬間があったとしても、一度本流を外れてしまった人は、もはや誰からも見向きもされず、たとえその人が死んでしまったとしても誰かに気づかれることもない。。
何だか現代社会とも通じるような、厳しく物悲しい情景だと思います。
ただ、「古今を問わず、光が当っていようとそうではなかろうと、人の営みそのものに、人の心を動かす力はある」と考えると、少し勇気が湧いてくるような気がしませんか?
業平の忠義と感受性が、時代を超えて、歌に乗せてそのことに気づかせてくれたのだとすると、私には改めて「和歌に親しむことの価値は大きい」と思えてなりません。
この後、業平は惟喬親王と何を語るのでしょうか?
はたまた、この暮らしを目の当たりにした業平は、惟喬親王と言葉を交わすことなく帰途につくのでしょうか?
その業平の選択もまた「人の営み」であり、どちらにも人を感動させるドラマを描く要素は充分ですね。
今日のレシピです。
深い林、全体的に色調はグレー、その奥に、小さくて侘しい家があり、ほんのりオレンジ色の光が漏れている、地面には足跡一つ刻まれていない。
A deep snowy forest, the overall color tone is gray, behind it is small,lonely house that glows faintly in orange, there are not even a single footprint on the ground
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