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当たり前のことを当たり前にやるのが一番難しい、過去の自分よ聞いてるか

今までの自分のnoteを懐かしんで、読み始めていたら、なんだか文章書きたくなりました。過去の自分に対するアンサーというか。
っていうか、僕は大学二年生の梅雨ぐらいの時期からずっとnote書いてたんですね。ちょっとびっくりです。そして、そんなに時が立っていたのも驚きです。今はもう就活生で大学4年生。恐れていた、進路の選択が目の前にあって、大学生じゃなくなる瞬間は今までよりもグンと近くなっちゃいましたよ。

さて、表題の言葉ですが、使い古された言葉です。
なんでもない挨拶とか掃除とか、単純な仕事とか、なんでもなんですけど、人として「当たり前」とされるものを当たり前にこなすのが一番難しいってことで、自分のやっていることに対してモチベーションを高めるためによく使われたりする言葉です。

「当たり前」なんて存在しないんですけど、共通認識としての行動とかはあるでしょう。それらをきちんと、一人前にできるやつって意外といないのです。洗濯できますか?布団干してますか?挨拶してますか?ありがとうってちゃんと言ってますか?健康ですか?(ちょっと違うかも

そういうことができないやつに限って、「俺は人と違うことがしたい」とか言い出すわけです。できない自分に予防線を貼るかのように。それでは、本来の「人と違うことする」を成就することはできないでしょう。だって、人と同じことができない程度なのだもの。
ま、これはちょっと暴論ですし、偏見ですね。でも、こういうできない自分を棚に上げるすり替え現象はあるような気がします。それって、あんまりよくないことだと思いますね。その人のためにも、周りの人のためにも。言い訳こどおじ感が否めないというか。


で、なんでこんなことを書いたのかっていうと

人って、そんなに大層なもんじゃなくね?って、そう思ったからです。
結局、僕たちはたまたま生まれて、たまたま生きて、たまたま死んでいくのです。

いわゆる、「すげー人」。どこに行っても一定数いるでしょう。
しかし、それは幻想だと知るべきです。
本当にすげー人は、実は近くにいる人だったりしますよ。当たり前のことをやっている人、とかね。カーチャンとか、バイト先のおっさんとか、美味しい飯作ってくれる蕎麦屋のおっちゃんとか、ガソスタでバイトしてるにーちゃん、薬局でバイトしてるねーちゃんとか、なんでもいいんですけど。

自分たちが見ている人、それはその人の一面でしかないことを知りましょう。人間とは多面的です。目に映るものが真実ではないです。

それに一喜一憂するのは愚かである。というのが言いたいことその一です。


だから、そんなものに囚われずに、今自分が何をやってみたくて、何を知りたくて、何ができて、何をしなければいけないのかを知ることです。それしかないんですよ。周り、カンケーないです。ちょっとずつちょっとずつ、できることを増やしていくことは、我々にはできるのですよ。誰かに振り回されるのは、時間をいたずらに浪費する結果に終わりまっせ?考えて歩く、これが、わかっていないと、この先はちょっと怖いかなーと思いますよ。誰か、遠く離れた他人の、わけのわからん講釈に頭からっぽで共感して酔いしれるのって、不幸じゃないすか?
これが言いたいことその二です。

そしてさらに、いわゆる「すげー人」はすげー人ではありません。
なんか、たまたますげーっぽいことやってるだけに過ぎないし、それがなんとなくすげーと見えてるという取るに足らない陳腐な感情です。これは断言しますし、断言したいですよ。
本当にすげー人はあなたの周りにいるって話しましたけど、見るべきはそっちだし、出会うべきはそっちなんだと思いますよ。大切にするべきは等身大の、熱量が伝わりあう、目を見て話せる誰かなんじゃないでしょうか。

その、見ることのできる目に気づかないってアホは今すぐ首つった方がいいんじゃないすか?お願いだから、後悔して欲しくありません。
誰かに向き合うことはしんどいでしょう。だって他人だから。でも、自分にないものを持ってるんですよ。
そこを蔑ろにしてしまう程度の人間性なのならば、何をやってもダメって、そうだと思いませんか?
大事なのは勇気です。壁をぶち壊す勇気です。ノックしてみましょう。日常の中のちっちゃいハードルを超えてみましょう。
向き合わない、やめる、そう決断するのは簡単です。なんの心配もいらないでしょうね。でも、本当にそれでいいんですか?
ここでちょっと揺らぐようなら、それは自分の程度の低さが表れているってことですよ。何にもわかっちゃいないですよ、その程度じゃ。人の良いとこも悪いとこも、言葉にできないモヤモヤも。まだまだ足りていないんじゃないですか?人間ってのは本当に捨てたもんじゃないかもですよ。そう思えない方は、可能性を見ることができない自分を恥じたほうがいい気がします。
大丈夫じゃないかもしれないですよね。自分が不安かもしれないですよね。でもね、それ含めても自分なので、それもOKするしかないですよ。
大事なのは、キラキラひかる何かを、他の誰でもない自分100%で見つけ出すことなんじゃないかな、と思います。その姿勢そのものです。
見失いたくないのならば、少しでも行動しなきゃと、思います。

これ、ほぼ自分に言っています。

遠くを見ても、かすんでるだけではないですか?
それよりも、横を見てください。そこを大事にできないと、何も意味がない気がしてます。何も成し遂げられない気がします。


だからね、あんまり自分を卑下しないで。
これは今の自分に向けて言いたいこと。

まずは、当たり前のことを。
そして、それが胸張ってできるようになれば、そこから一歩でも二歩でも、ちょっと離れてみよう。自分の半径5メートル程度の当たり前から脱出するんだ。
そうやって、ジリジリ広げていくのは悪くないと思う。
だからまずは、自分を許すことから始めようぜ。
自分、OK。それができれば、動けるはずだ。1日を生きていくことができるはずだ。

あとね、ワクワクってのは当たり前の外にあるんだと思うよ。
これも、なんかのヒントだろ。
レールの上にはないさ。用意されてるもんではないよ。自分で生み出すものだ。少なくとも最初の一歩がなければさ。ないと思うんだよなー俺は。
無謀でちょうどいい。考える前にとべ。案ずるより産むが易し。カチコミブッパ。それでいいのさ。
ブレーキいらねぇよ。アクセル踏んでみ?あ、こんなに出るもんなのかーって気づけるから。
だからアウトサイドには憧れるだけじゃなくて、自分で行ってみることが大事よ。


結局は、目の前のできることを踏ん張って、やってみるほかありません。
もう、逃げても、誰も叱ってくれないですよ。
逃げるだの逃げないだの、誰も気にはしないでしょう。

でもね、逃げてばかりじゃ掴めないです。そうでしょう。

やることは、なんでもいい。

まずは、疲れるまでやってみよう。
やるだけやったら、眠ればいい。
失敗したら、反省して、謝ればいい。やり直せばいい。


言いたいことばっか羅列して、まとまりゃしないですね。もう眠いってのもあるかも。
でも、言いたいことはたくさんあるんですよ。思ってることはたくさんあるんですよ。自分でもそれにびっくり。最近は本当に思考の渦に飲まれていたから、立ち止まる機会は貴重でした。note蓄積しといて正解だったね笑。


じゃあ締めの文章書いてみよっか。

とにかく言いたいのは、人にそんなに謙るなってこと。自分に自信を持て、ということだ。
自分に自信が持てないって、お前はよく言うけどさ。そんなことないぜ、まじで。
大したもんなんだよ。なんて書くとちょっとキモいけど。
自信は後からついてくるんじゃないすか?そう考えればわかるかも。結局、人とのつながりが自分を強くしてくれます。そこは間違いないと思う。一人でいては、滅入るだけだ。

自意識の問題なんだよ。お前のことは、お前がどう思うかでしかない。
その意識のループから意思によって抜け出すことって多分できないんだけど、そう、だからこそ自信がないって思いこんじまうんだよね。
でも、結局それもお前がそう思っているってだけなんだよね。思ってるだけ。そう思うに至った何かしらのきっかけがあっただけなんだよ。
そこに引っ張られ過ぎてしまうってのは、お前の特性かもだけど
それをどうにかできるのも、やっぱりお前だけなんだよね。
ダークサイドに望んで落ちる奴は少ないわな。でもそうやって苦しんでいてもさ、何も変わらないし、良いことはあんまりないよ。
間違いなく檻だ。
それをぶっ壊す方法は、、、、
お前のことを待ってくれている誰かの存在なんじゃない?

あとはそもそも檻に入らんこと。
そのためには
笑ってろ ってことかなぁ。
うーん、というか
笑え、さすれば笑うだろう、みたいなテンションだな。
ヒャッハー最高の気分だぜー!ってさ。


自分の動機、それを手にして、やっていけるといいね。
それをしよう。

とりま、歌でも歌えや!声張り上げろ!あと筋トレもしとけ!






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