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癖の強い「0」から考えたことを、好き放題書いてみる


癖の強い「0」

ケイです。先日業務中、書類に数字を書くことがありました。すると、隣に座っていた数学の先生が私の書いた「0」を見て何か含みのある表情を浮かべています。

私が書いた「0」を再現したもの(分かりやすくするため少し盛っています)

数学の先生いわく、「0を下から書く生徒に、数学が得意な者は(ほぼ)いない」とのこと。多くの数学の先生が、経験的にそのように感じているそう。
この見立て、少なくとも私に関しては大当たりでした。(私は算数からあやしいレベルで数学ができない…。)

それでは、なぜ私は「0を下から書く」ようになったのか?自分なりに色々と考えたのですが、前述の数学の先生からその後の雑談で言われた一言でハッとしました。
「●●先生(別の数学の先生)が、“(例え数学が苦手でも)0を下から書けば、6と見分けがつかなくなるってことが無い点では良いよね”ってフォローしてくれていたよ~」←まさにそれだ!!

学生のころ、ノートをとっているうちにぐちゃぐちゃになって「0と6」「2とZ」「Xと)(」の見分けがつかなくなってとても困っていたように思います。そして、何とか見分けがつきやすいよう書こう!と編み出した工夫の一つが「0を下から書く」戦法でした。

ちなみに、ノートがぐちゃぐちゃになったそもそもの原因は「書き写す」ことが苦手だから。小学生のとき、国語の教科書の本文を書き写すよう指示されると、写し終えるのはいつもクラスで一番最後…。高校生になってもそれは変わらずで、いつも黒板をノートに書き写すことだけで精一杯。授業中に内容を理解するなんてとてもじゃないけど無理でした。

今振り返ってみると、「見て記憶する力」が弱いからなのだろうなと思います。学生当時は全く自覚していませんでしたが、視覚的な短期記憶が結構弱くて、見たものを「脳内で音に置き換えて覚える」→「脳内で復唱しながらなんとか記憶を保ちノートに書き写す」ことで何とかやってきたように思います。
この「脳内で復唱しながらなんとか記憶を保つ」プロセスは国語・社会等の科目では比較的スムーズにできたのですが、数学・理科の計算式や英単語のスペルになった途端たちまち上手くいかなくなる。その結果、授業中ノートに書き写すことだけで手一杯になったという訳です。
自分の思考・認知の特徴が文字にも影響するものだなぁと改めて思いました。

筆跡と心理学

前述のような出来事があったのとほぼ同時期、高校生の就職活動における“履歴書の在り方”について議論が起こっているという話を耳にしました。簡潔に言えば履歴書は「手書き」であるべきか、「パソコン作成」に移行すべきか、というものです。この議論の詳細についてはここでは取り上げませんが、個人的には「手書き」の履歴書の方が書き手のバランス感覚や手先の器用さ、センス等々、人柄や能力がよくあらわれるのではないかと経験的に思います。採用側も適性をはかる一つの判断材料にできるし、結果的には就職試験を受ける側も適性に乏しい業界に就職するという不幸を避ける一つの助けになるのではと思うのです。
(ただし、学習障害(LD)等で書くことに著しい困難を抱えている場合等においては、合理的配慮も必要です。詳しくは述べませんが、「手書き」「パソコン作成」双方にメリット・デメリットがあると思っています。)

ただ「手書き」の文字に人柄や能力があらわれる、という考えはあくまで私の経験的な感覚によるものです。そこで何か研究がなされていないかと、少し調べてみることにしました。
インターネットの検索でヒットした「筆跡学」というのがどうやらそれっぽいぞということで、オンライン辞書・事典検索サイトで検索をかけてみることにしました。その一部を掲載します。

日本大百科全書(ニッポニカ)から一部抜粋
筆跡学 graphology
筆跡とそれを書いた人の関係の研究。二大領域があり、一つは性格学的筆跡学で、筆跡特徴と性格特徴の関係を調べる。他は執筆者鑑別(または同一性検定)で、複数筆跡間の執筆者が同一人か別人かを調べる。

世界大百科事典から一部抜粋
筆跡学 graphology
…略… この方面については、古くから関心がもたれていたが、フランスのミションJean-Hippolyte Michon(1806-81)によりグラフォロジーgraphologieという名称が初めて与えられ(1871)、クレピュー・ジャマンJules Crépieux-Jamin(1858-1940)により理論的発展をみた。 …略…

「筆跡学」が生まれたヨーロッパでは学問として確立し、筆跡診断士の仕事をしている人も多いのだとか。一方、日本ではあまり知られておらず、学問としての地位を確立しきれていない印象を受けます。(筆跡学を学べる大学を探してみましたが、私の力量では見つけられなかった…)

ただ、日本筆跡診断士協会や日本筆跡心理学協会などの協会の講座を通して筆跡診断を学ぶ人もいるようです。どちらの協会も筆跡と心理学との関連性を強く意識しており、筆跡を通してパーソナリティを明らかにすることが大きな目的となっています。

試しにCiNii(国立情報学研究所が運営する、学術論文・書誌情報のデータベース)で検索をかけてみたところ、検索ワードのヒット件数は以下の通りでした。(2023/4/3現在)
「筆跡」 2014件
「筆跡鑑定」 133件
「筆跡心理学」 12件
「筆跡診断」 9件
(日本において)「筆跡学」は学問としてはまだまだ発展途上。というところでしょうか。

子ども達の文字を見るということ

筆跡についてここまでいろいろと述べてきましたが、たとえ経験的であっても、学問としては発展途上であっても、手書きの文字を見ることで教育に活かせることはあると思っています。

宮口幸治著『ケーキの切れない非行少年たち』において述べられている、“非行少年に共通する特徴5点セット+1”は、

・認知機能の弱さ
・感情統制の弱さ
・融通の利かなさ
・不適切な自己評価
・対人スキルの乏しさ
+1 身体的不器用さ
(小さい頃からのスポーツ等の経験により身体機能が優れ不器用さが当てはまらないケースもある)

といったものでした。非行少年たちは、本来必要だった支援を受けることができずに見過ごされてきた結果、非行に行きつくということが少なくないようです。だから、課題を持っていたり困り感のある子どもに、必要な支援をするということは当たり前のことですが超重要です。

このうち、
・認知機能の弱さ…見たり聞いたり想像する力が弱い
+1 身体的不器用さ…力加減ができない、身体の使い方が不器用
などの特徴(発達上の課題)は、やはり何らかの形で文字にもあらわれると考えるのが妥当です。だから、子ども達の文字を見ることで、まずは課題に気づくことがとても大切なのだと思います。
その後の支援につなげていくためには、子どもが抱えている課題ごとに十分な分析が必要で、適切な支援を適切にしていくのは正直めちゃくちゃ難しい。
それは重々承知のうえで、経験を積み、見識を広めることで何とかできないかなぁと思いつつ、今回はこれでおしまいです。

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