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便利は不便を生む

便利はたびたび不便を生む。


車は便利な移動手段だ。

だが頼りすぎると足腰の筋力が衰える。

車という「便利」によって体が「不便」になる。


スマホは便利なツールだ。

だが膨大な時間を奪われる。

少なくとも僕に関していえば、得られた恩恵よりも失ったもののほうがはるかに多い。

スマホが存在しなければ、今より何倍も本を読んだり考えたりする時間を過ごせていただろう。


ネット検索はたしかに便利である。

しかしそこで得られるものは自分が欲しい情報に限られる。

「既知の未知」の領域にある情報は手に入るが、「未知の未知」の領域にある知識にはめったに辿り着けない。

その代わりに行き着くのがラディカルな思想や陰謀論だ。


このように便利はたびたび不便を生む。

便利に頼りすぎると、体が不便になり、頭も不便になる。


中でも僕がとりわけ問題視しているのは「便利な言葉」だ。

定義があいまいで汎用性の高い言葉ほど人の思考能力を奪う。

ラベルを貼り付けた瞬間に、そのことについて考えるのをやめてしまう。

何も分かっていないのに分かった気になってしまう。

ほんとうに大事なことは、困難な問題に直面したときに、すぐに結論を出さないで、問題がじぶんのなかで立体的に見えてくるまでいわば潜水しつづけるということである。
(中略)
目の前にある二者択一、あるいは二項対立に晒されつづけること、対立を前にして考え込み、考えに考えてやがてその外へ出ること、それが思考の原型なのに、そうした対立をあらかじめ削除しておく、均しておくというのが、現代、人びとの思考の趨勢であるようにおもえてしかたがない。

『哲学の使い方』鷲田清一

以下の記事に続く。

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