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下戸のブルース

突然だが、僕はお酒が飲めない。

 もっとも、法律上は何の問題もない。気が付けばオジサンになってしまった。僕の方としては17歳くらいの子は同年代という意識があるけれど、向こうにしてみたら「(このオジサンやけに馴れ馴れしいな……)」としか思われないんだろう。悲しいことに。

 付け加えれば宗教上の理由でもない。七五三に千歳飴を舐め、結婚式は教会で、葬式にはお坊さんをデリバリーする、メリークリスマスの一週間後に神社に初詣に行く程度の、日本で一般的なレベルの宗教観念しか持ち合わせていない。

 そんな僕がお酒を飲めない理由は何か。
 単純に酒に弱いからだ。
 『酒に弱い』。それはIT化が進み、平成の世が終わり、ポリティカル・コレクトネスで互いを殴り合う現代社会においても、歴然たる悲劇としてそこかしこに転がっている。

 被害者意識に塗れて断言しよう。『酒に弱い』、これは悲劇だ。酒豪だったり、そうでなくとも人並み程度には酒の飲める幸福な方々は「何言ってるんだよwwwあほくさwww」と現在進行形で一笑に付しているだろうが、今日はどうか下戸のブルースを聞いてほしい。


 まず第一に、下戸に対する誤解を解きたい。
 酒に弱い、というのはどういう意味だか分かるだろうか。難しく考える必要はない。シンプルに考えてほしい。答えは、『酒に弱い』ということだ。
 この文を読んだ皆々は、「こいつ何言ってんの?」と思ったことだろう。それほどに『酒に弱い』=『酒に弱い』という事実は、自明に真である。

 だが現実はどうだ。
「俺、酒あんまり飲めないんだよね~」
「え!飲み会嫌いなの?」
 さて賢明なる各位。これが『酒に弱い』=『飲み会が嫌い』に置き換わった世紀の瞬間です。

 意外に思われるかもしれないが、『酒に弱い』のと『飲み会が好きか』というのは全く別の問題だ。確かに酒に弱い人間が飲み会嫌いになる傾向は強い。酒に酔ってテンションの高くなった隣人。自分の前にだけ残り続ける『はじめのビール』。交わされる生産性のない会話。酒に酔わずにはついていけないという人も多い。

 しかしながら、酒を飲まず、酔わずともテンションを酔客に合わせることのできる者や、そもそも正気を持ち合わせていない者もまた存在する。それに限らず、飲み会特有のリテラシーの低い空気感を好む者もまた、確かに存在するのだ。
 そのような焼肉100分食べ放題と同じように飲み会を楽しまんとする者にとって、「酒飲めないのに参加させるの可哀そうだし、声掛けるのやめとこ」というのは、寂寥以外の何物でもないのだ。もっと誘ってくれ。


 ここまで読み進めてくれた君らはきっと「なんだよ、来たいなら勝手に来ればいいじゃんか」と言うだろう。だが話はそう簡単ではない。われわれ下戸には大きな苦難がある。それが敵の存在だ。

 敵とは、飲んでない人間がいることが許せない人々だ。
 敵と称すると、「なんだよお前、流石に被害妄想が過ぎるんじゃないか」と叱責を受けそうだが、語弊を恐れずに言わせてもらえば、彼ら彼女らは我々にとって、毒悪たる敵に違いない。

 彼らの存在によって、我々下戸はコミュニケーションの伝家の宝刀「飲みに行こうぜ!」を抜くのを躊躇してしまう。「なんだよ、お前が誘ったのに全然飲まねえじゃねえかよ」の一言があまりにも怖く、また相手がこのようなタイプの人間であった場合はディスコミュニケーションが積みあがるだけだからだ。
 敵にはいくつかのパターンが存在する。一部を紹介したい。

 まず、「なんで飲まないの?飲めよ!」パターン。飲酒のことを“呑み”と表記するタイプの人間が多い印象を受ける。(余談だが一般に「呑む」は固形物を飲み込むことを意味する。日本語警察だ‼)

 彼らはそもそも酒を楽しいと感じない人種が存在することを理解していない。
「え?お酒弱いの?酔っちゃうの?でも美味しいじゃん。楽しいじゃん。ぶち上げよー!」
という思考の論理しか持ち合わせていないのか、はたまた「酒を美味しく感じたことがない」などという悲劇が存在してたまるかと己に言い聞かせているのか……。

 正直、カシスオレンジ等のカクテルを全くおいしく感じないかと言うと、必ずしもそうではない。なんならビールの味もノンアルなら嫌いではない。だが、カシオレはあくまで甘いから美味しいのであり、アルコールが入っていなければさらに美味しいのだろうとしか思えないのだ。

 彼らの内の一部はきっとこうも言うだろう。「オレも正直酒が美味いとか思わないし、酔ったら気持ち悪くなるけど、それでも楽しいじゃん!」と。
 いや、楽しくないから。まったく楽しくならないから。
酒を美味しく感じないどころか、酔いを楽しく感じない悲しき生き物が在ることを受け入れてほしい。 

 次に、「飲まないのは甘え」パターン。自分の所属する狭い交友関係の人間同士で、他の集団の人間の悪口を言うのが最高のエンターテインメントだと思っている人間が多い印象を受ける。

 彼ら彼女らは口を揃えて、「酒弱いとか、そういうのいいから」と言う。彼らにとって酒は美味しくて飲むものではなく、理性を溶かしながら一種の苦痛として酒を共に摂取することで共同体の連帯意識を育てている感を受ける。

 つまり、苦しい思いをして目の前の強い酒を共に受け入れることを、一種のオトモダチ宣言だと思っているのだ。高所から飛び降りる成人の儀式をする部族と、思考としては大して違いがない。

 彼ら彼女らにとって、「ごめんなさい、お酒弱くて……」は何の意味もなさない。苦痛を受けることが飲酒の目的であるのだから、「酒が苦痛だ」などというのは何の免責にもならない。
 そして彼らはこう続ける。「オレだってきついんだぞ」「飲んでれば強くなる」。

 正直、前者に関しては「きついんなら止めれば?」という感想しか浮かばない。校庭の隅でダンゴムシ食べて英雄になった小学生時代を抜け出せてないのかなって思う。集団リストカットでもしてればいい。園子音監督に映画化されろ。
 「飲んでれば強くなる」に関しては、もし本気で真実だと思っているのなら、その人のリテラシーがその程度なのだな、と呆れてしまう。ワカメで髪が生えるとか、運動中は水を飲ませないとか、そのレベルだ。アルコールとアセトアルデヒドの分解酵素が急に増える訳がない。単一個体で進化するのはゴジラだけだ。

 そういう血液型占いをこの世の真理だと思っているような人間は、「そんなはずはない。オレは強くなったぞ」ということがあるが、それはアセトアルデヒドの苦痛に慣れてしまっただけだ。上手く飲む方法を見つけたのではない場合は、その人は体力ゲージが元と同じスピードで減っている可能性と、自分がゴジラである可能性を確認してみることオススメしたい。そして早く凝固されてしまえ。


 そもそも、酒の弱い人間に無理に飲ませること自体が人道に反するのではないのか。

 もし仮に、「僕は蕎麦アレルギーなんです。ほんとに食べられないんです」という人間に対し、「一杯だけ!」「オレだけ食べるのはさみしいよ」「みんなも食べてるじゃん」などと言って食べるように圧力をかけた結果、彼の心拍は150回/分まで上昇し、足の裏まで全身真っ赤になり、目は充血し霞んで、気持ち悪くなりトイレで嘔吐し、足元もおぼつかず、半日以上頭痛が続く状況になったとする。これは明らかな傷害罪だ。刑事事件だ。

 その上、彼の前に追加でわんこ蕎麦を置いて、「これは高い蕎麦だから大丈夫」「きっとまだ本当に美味しい蕎麦を知らないだけ」などというのは、あまりに非道だ。人道に対する罪だ。

蕎麦を酒に置き換えてもらえば、下戸の見ている景色になる。

 

 親愛なる皆々様に置かれては、ここまでザっと読み飛ばして、「ふ~ん…でも私は好きで勝手に飲んでるだけだから関係ないな……」と思っているに違いない。
 酒が好きな人が勝手に飲む。人に強要はしない。我々下戸にとっては天使のような人々だ。だがあえて、今日は噛みつかせてもらう。

 シンプルに言わせてもらう。ゲロ処理をしたくない。
 意外に思われるかもしれないが、酒に弱い人種は酩酊で昏睡状態に陥るということが少ない。昏睡するずっと前にアルコールの限界量を迎えるからだ。(一口飲んだらぶっ倒れるような酒を全く受け付けない人は除く)。また、嘔吐しやすい人間も吐き慣れているため、粗相を起こしてしまうことは案外少なく思われる。

 一方、自称酒の飲める民はどうだ。早めにリタイアしたわれわれ下戸が復活するタイミングで次々と倒れ始める。
 また酒飲みはアルコールの分解が遅いため、血中のアセトアルデヒド濃度がゆっくりと上昇し酔いが回るのが遅いのだが、その分酔いも持続しやすいので長時間回復しない。飲酒量も多いので尚更だ。
 そこで下戸は酒宴の後片付けをし、理性の無い肉の塊を介抱し、場合によっては粗相の処理をする。そうせざるを得ない。

 そして冴えて眠れぬ眼を抱えたままで朝日を拝むこととなる。そのころになると昏倒していた肉たちが次々と起き始め、睡眠の足りた爽やかな顔で「昨日はブチ上がったな」「お前はもっと頑張れよwww」などと言い始めるのだ。ふざけんな。

 因みに、酩酊者は法的に病人とみなされるため、捨て置いた場合は保護責任者遺棄罪に問われる可能性がある。死んだら保護責任者遺棄致死罪だ。懲役刑だ。

 『放っておいてくれたらよかったのに笑』とか言うのは、迷惑をかけている自覚に欠けたなんとも無責任な話だ。自分のケツは自分で拭いてほしい。他人を犯罪者にするな。


 そもそも、酒で荒れる人間は自分の酒乱ぶりにあまりに無頓着ではないか。 本人は気持ちよく酒を飲み、本能に忠実に暴れ、そのことは都合よく忘れて朝を迎える。そして周囲の人間の疲労と嫌な気分だけが残る。

 その上、暴れて吐いて昏倒した記憶がサッパリと抜け落ちているため、自分は酒で粗相をしない人間だと思い込んで何度でも繰り返す。あまりに始末に負えない。


 以上のようなことを滔々と喋ろうとすると、「あーはいはいはい笑笑 わかったわかった笑笑 でもそんなこと言っていたら社会でやっていけないよ?笑」と確実に言われる。その通りだと思う。

 だが、酒を飲めないと社会人としての円滑なコミュニケーション能力に難がある、と判断されてしまう現状こそが大きな間違いだし、早急に是正されるべきなのはそちら側だ。

「酒飲めないとこの仕事厳しいよー」の言葉が早く根絶することを願っている。


 しかし残念なことに、そう下戸が必死に声を上げたところで、酔っ払いの遠くなった耳には届かないのだ。


 我々の体質がどうしようもないのと同じように、社会の体質もそう易々と変化するのもではないのだろう。


事態は平行線だ。

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