風になって

目を閉じるといつだって思い出せる。

あのとき、歩いた畦道のようす。
稲穂が揺れて、6月にはカエルの声が聴こえた。どこまでも続く畦道を僕たちは、
歌いながら時にはスキップをしながら2人で帰った。

「激しい運動してはダメよ」と
母親からは止められていたけれど、
それでも僕は安武と2人で歩いていたかった。

暮れなずむ夕陽を背に、
カエル達の声を聴きながら、
歩く学校からの帰り路はいつもどこか新鮮で、それでいてワクワクする冒険をしているような気持ちになった。

幼い頃から、
病院に通いつめて過ごしていた僕は、
安武と歩きながら見る外の世界は、
こんなにも自由と期待で満ち溢れているのだと思った。

ただそうは言っても、
自由でありたいと願いながらも体調の悪い日には、決まって嫌な気持ちが湧き上がってくることがあった。
息苦しさと目眩で、ハァハァと息を継ぎながら
家の窓から外を覗くといつも決まって同じ時間帯に、近所の子ども達が馴染みの鞄を背負って走っていくのが見えた。

心臓への負担がかかるから…という理由で

全面的に「走る」という行為を禁止されていた僕はその光景が羨ましくて仕方なかった。
小学生に上がったばかりの妹が、
自分の背中よりも大きい真新しいランドセルを背負って無邪気に
「行ってきまーす」と出て行く姿が眩しかった。僕は心臓以外はどこも悪くないのに、心臓を守るために制約されていることが多すぎた。

そのことについては、僕なりに色々考えてみた。神様という存在が、もし本当にいるのだとしたらどうしてこんな事をするのだろう?

たくさんの物と引き換えに、一体僕は何が出来るのだろう…
暫くは苦しい暗闇のなか歩き続けているような、心許ない気持ちになっていた。
けれど何日も考え、たくさんの本を読むなかで幸いにも僕には考える力と心があることに気づいた。
イソップ童話のイソップだって、きっと生活はとても不自由だった筈だ。
奴隷だったイソップは鎖に繋がれ、
手足を縛られ、そして時には殴られたかもしれない。
それでもイソップは数々の名作を遺した。

たとえ身体は不自由だって、心は
こころだけは自由なんだ…!!
そう思えてから、僕はこころがすっと解放されたようにラクになった。

「未来よりいまを大切に生きよう」

そのときからそう僕は思った。

それから暫くのときが流れ、僕は優美と出会った。いや、寧ろ出会ってしまったという方が正しいのかもしれない。

彼女は僕のこころの中に封じ込めていた「恋愛はしない」という箱をあっさり開いてしまった。
初めて覚える「誰かを愛しい。抱きしめたい」という気持ちに僕は戸惑っていた。

誰かを傷つけるくらいなら、初めから人を好きにならない方がマシだ。
そう念じて抑えてきた僕の言葉は無意味になってしまった。こころの奥から湧き上がる「どんな形でもこの人の傍にいたい」という衝動的な感情は抑えられそうにもなかった。

彼女を見るたびに胸がざわつき、
居てもたってもいられなかった。

「僕は誰かを好きになっても辛い想いをさせるだけだ」初めて彼女にそのことを告げたとき、彼女はそっと僕のおでこにキスをしてくれた。

こんなにも誰かを好きになることが、素晴らしいことだなんて初めて知った。

それからの彼女と過ごしたかけがえのない時間は、僕にとって何にも変えがたい素晴らしい時間だった。
車に乗って色々なところに一緒に出掛け、
彼女と同じ時間を共有した。
彼女とみる朝焼け、そして夕陽はなによりも素敵だった。

僕たちは2人で一つだった。
あの日彼女が、一緒に彼女の田舎で暮らそうと言ってくれなかったら、今ころ僕はどうなっていたのだろうか。

自分には時間がないからと、後ろ向きに考えてしまっていたのだろうか。

あれから5年の月日が経った。
いま僕は風になって、自由に空を飛び廻っている。軽くなった身体でどこまでも飛び廻れることが嬉しい。それでも時折母さんの顔や、優美の顔も覗いては「どうかそんなに哀しまないでほしい」そう願っている。

あの日、そっと握ってくれた手のぬくもりはずっと忘れない。

僕は皆んなに笑顔でいてほしいと心から思っているんだ。
そのことを知らせるためにチリンチリンと鳴る風鈴に、そっと息を吹き込んだ。

(完)

 

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