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エレベーターブザーズ ニュー道

ここでは18歳~20歳の頃にやっていた
お笑い芸人の時の経験談を語っていく


人に説明する時についついめんどうなので
お笑い芸人やってて……みたいな会話の入り方を
するんだが、正確にはスクール生
プロのお笑い芸人ではなく
アマチュアのお笑い芸人だ。

ワタナベエンターテインメントの運営する
ワタナベコメディースクール19期生の
プロフェッショナルコースに属していた。


ここでは週に4日か5日あって
朝から夕方頃まで授業があった。


内容的には
ダンス、芝居、ネタ見せ、発音練習などなど……
多くを学ばさせていただいた。


中でも個人的に好きだったのが芝居だ。


何者かを演じる楽しさやその人物がどうゆう感情で
この言葉を言っているのか?
どう表現したらお客さんに伝わるのか?
これらを考えて芝居をやるのが好きだった。
ぶっちゃけ一瞬俳優業もありなんじゃね??
と思うほどだった。


俳優業に関してはのちのち考えて
お笑いに集中だ!となり
入学して6ヶ月間ぐらいは
ピン芸人としてニュー道としてやっていた。

ピン芸人としてやっていたのだが
当時はショートコント系をやっており
ライブをやっても最下位から何番目ぐらいしか
なかった……

ぶっちゃけ当初の思惑としては
コンビを組みたかったのだ
自分と組んでくれる人が
おらずぶっちゃけ孤立していた。

圧倒的に自分が悪いのだが
田舎から大都会に出てきた18歳


なにもわからなかった……
少し尖ってもいた……
入学式の後他のクラスの人らとご飯行ったときに


こんな発言をしてしまったのだ……

それは「俺は馬鹿だからネタは書けないんで
おもしろいネタ書く人とコンビ組みたいっすね〜


最悪だ……カス過ぎる……


当時の自分はこの発言がどれだけ失礼で
なんだこいつ??何様だ??発言をしたことに
気づいていなかった……
この発言が卒業するときに
一緒のクラスだった

ピン芸人「みねじ」さんから言われて
ハッとなった……

だからみんなあの時組んでくれなかったのかと
知った。

入学して6ヶ月あたりで転機が訪れる
エレベーターブザーズとして
コンビを組むことになる
相方が当時コンビを組んでいた人と解散する話が
舞い込んできた。


相方のツッコミの上手さセンス
キャラクターがとても好きで
あの人とコンビ組みたい!!!!とずっと思っていた。

一斉一隅のチャンス

これを逃したら次がない

そう思ってすぐに僕は
その人の元へ話を聞きに行った。

その噂は本当だよ
と言われた。

俺と一緒にコンビ組まないか?
俺は相方(猪谷)と組みたい!!!!と言った

そしたら当初は乗り気ではなかったが

ニュー道とやってみるのもおもしろそうだから
やってみてもええな〜と言って
その日コンビを組むことになった。


ぶっちゃけた話しだが
お笑い芸人同士で組む時の口説き方とか
話し合いの時
女性に告白するよりも緊張していたのを
覚えている。
あの独特な経験は最初で最後だろう。


相方の名前は猪谷と言う。
同い年で九州出身だ。
ネタ作り、ネタ合わせで口論になることも
多々ありその時はバリバリの博多弁になる。
そして体重も僕と一緒で100kg越えの巨漢だ。


まず僕らが決めたのが

コンビ名だ。


ここで僕のネーミングセンスの無さが光る。
僕が、提案したのが



ドリームエレファント……


ダサい
至極ダサい………
今ならわかるダサさだ。

猪谷にも笑われたし
他のお笑い芸人にも笑われた。

当時の僕はそれがかっこいいと思っていた。

即却下され

悩んでいると

井上と言うピン芸人がいて
その人が言ったのが

2人はさー
体重100kgこえてるんでしょ??
事務所のエレベーター小さいし
2人乗っただけでブザーなりそうじゃん
だったら
エレベーターブザーズで良くね??


僕らはすぐにそれめっちゃいいすね!!!!と
なりすぐにちょうだいした。


これがエレベーターブザーズ結成と
命名の瞬間だ。


エレベーターブザーズとしてまず話したのが
ネタの方向性だ。

ようは漫才をやるか
コントをやるのか…

この話し合いに結構時間を使ったのを憶えている。

なぜなら僕はコントがやりたい
猪谷は漫才をやりたかったからだ。

先程話したが
僕は何者かを演じるのが好きだ。

一方猪谷は漫才が好きでよくよくは
コントもやろうかな〜ぐらいだったのだ。

駆け出しのスクール生だ。
講師の先生方には
どっちでもいいからネタ見せろと言われる。

ここで僕が折れた形になり
漫才をしよう!となる。

ネタを書くのは猪谷だ。
何度か自分もネタを書いて猪谷に
読ませてみたのだが
クソつまらんと言われ
逆に猪谷の書いたネタを読んだが面白かった。
ここで明確的に決まったのは


ネタを作るのは猪谷(ツッコミ)
ニュー道(ボケ)

が決まる


月に1回のスクール生による
事務所でお笑いライブに向けて
ネタ作り、練習が始まる。

あの時ほど青春した時はなかった
毎日のようにスクールに行き
夜はバイト
空いた時間でネタ作り、練習
寝る時間そんなになかったのを
覚えている。


すっごく楽しかった。


ライブでも徐々に順位が上がっていく



お客さんも笑うようになった。



楽しい




お笑い芸人最高だーーーー!!!!



となってきた頃には

そろそろ卒業ライブに向けて
やっていこー!という空気感が出初めていた……


この卒業ライブとはなんぞや?
となるだろう
要約すると卒業ライブでいい成績を残し
マネージャー達に評価されれば
スクール卒業後は
ワタナベエンターテインメント所属の
プロのお笑い芸人とし所属できるチャンスを
与えてくれる。

それが卒業ライブだ。



僕たちも卒業ライブに向けて
ネタ作りし練習した。

ネタを表現する時に
何とか,,を,,した
何とか,,に,,した
など1文字違うだけで表現、伝えたいことや
笑いどころの表現が変わるので
これがなかなか大変だ

1文字を調整するのに平気で
2時間かかったこともあった

喧嘩すること多かったが
卒業ライブ前のライブで3位になるなど
それなりの成果や手応えもあった



卒業ライブ



ハッキリ言う
手応えはあった
手応えしかなかった
そして卒業ライブでは合格を貰う

合格した次はマネージャー達の面接がある

マネージャー達の面接で合格がでれば
晴れて所属できる

僕らは準備が足りていなかった

面接で落ちた………………

ここで僕らは正式に所属できないことが
決まった………………


猪谷と話し合わなければいけなかった




今後のエレベーターブザーズの
活動をどうするのか??
解散するのか???


僕が出した答えは,,解散,,
そして二度とお笑いに携わらないことだった


親との約束で140万円のスクール代を
親が代わりに立て替えてくれていたのだ
今は無事に完済してるが
その立て替える約束で
所属できなければ実家に戻ってくる
これが条件だった………


この話を猪谷にした


分かった


と一言だけ言い


これでエレベーターブザーズは
解散する事になる








解散後抜け殻の状態で実家に戻ってきた僕の
ブラックニュー道時代が始まる………


この話はまた別記事で……

最後まで読んでくれてありがとうごわかりました!
応援していただけるとむっちゃ嬉しいです。



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