サピエンス全史 第1部 なんちゃって書評

cotenラジオを聞いてから歴史にハマり、遂に手をつけたサピエンス全史。
人類の誕生から現在までの歴史をまとめるという壮大な一冊となっている。著者はユヴァル・ノア・ハラリという方で、イスラエル人の歴史学者、哲学者だそうだ。

「やっぱり哲学者か!」

どんな信念や軸を持ち何のために生きるのか、幸せとは何かを自問自答するのが哲学だと勝手に解釈してるのだが、これだけ膨大な歴史をまとめる程の良き変態は哲学者に決まってるだろうと確信していた。自分なりの「生き方羅針盤」を手に入れるには、自分がどういう社会に生きているのかを知る必要があり、それを知るには自分の社会と他の社会を相対化する必要があるから。つまり歴史。
人類誕生から現在までを概観したメガネでこの世界を観るとどう映るんだろう。。

ユヴァル・ノア・ハラリのメガネをかけるべく、このなんちゃって書評で自分なりに考えを整理したい。


まず第1部でのキーワードは、「認知革命」だ。
太古の昔にはホモ・サピエンスだけでなく、ホモ・エレクトスなどなど多くのホモ属が存在していた。今日ではホモ・サピエンスしか生存していないというのは常識だが、如何にしてその地位を築いたのだろうか?
答えは「言語によって虚構を語れるようになったのがホモ・サピエンスだから」だそうだ。
それまでも簡単な言語での意思疎通はあったが、現実に形を有さないもの=虚構を語ることはなかった。しかしホモ・サピエンスは現実に形のないものを喋ることができたそうだ。例えば、神だ。

虚構を語れるからなんなのだ?
と疑問に思ったが、ここには大きな意義がある。
それは形成できる集団の数が跳ね上がるということだ。
狩猟採集時代においては生きるための協力は必要不可欠で、お互いへの信頼関係がある程度重要なことは感覚的に分かるだろう。だが顔見知りになれる人数には限りがあり、精々100人程度だ。
しかし虚構を語ることにより「共通の神を信仰しており、目標を共有している仲間だ」という認識が広がれば、顔見知りでなくとも協力し合える。
こうしてより多くの人数で集団を形成できるようになったことにより、ホモ・サピエンスは他のホモ属を蹂躙できたのだ。

この話が面白いのはこれからだ。
今日の我々も例外なく、「虚構によってまとまっている」のだ。株式会社、人権、国家など、現実には形がないが、私たちはこれらの想像上の虚構によってまとまっている。そしてそれはそのように考えるのが倫理的に正しいので存在しているのではなく、そのように考えた方がまとまりがとれるから存在している。
国家なんてものは自然には存在しない。日本なんて括りは比較的最近ホモ・サピエンスが勝手に決めたものだが、この虚構によって1億2000万人はまとまっている。つまり、神を信じるか国家を信じるかという風に、時代や場所の変化と共に「信仰対象」が変わっただけなのだ。

今まで考えもしなかった根っこの根っこにある常識を、論理的に覆してくる。この本はそんな気づきを与えてくれるので本当に面白い。


・・・疲れてきたので第2部はまた今度。

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