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【ピリカ文庫】夕涼み【ショートショート】

佳代が娘の陽菜と祖母の家に着いたのは、日が暮れ始めた頃だった。

「おじゃまします!」
「陽菜ちゃんいらっしゃい。おばあちゃんの家にお泊りは初めてだっけ?」
「そうだね、生まれる前に一度来ただけ」
「部屋は廊下の奥のところ使って?」


佳代は娘の陽菜と一緒に、母に言われた部屋に荷物を置きに行く。
そこは佳代と4歳になる陽菜が2人で使うには広すぎるくらいの、お仏壇のある部屋だった。
都会の家に比べたら祖母の家はかなり部屋数もあって大きい。母が小さい頃に建てた家らしく、昭和を感じるザ・日本建築で、いつか行ったらしい温泉地のペナントが色褪せたまま飾られている。
築半世紀の古い家ではあるが、最近は母が様子を見に来るようになったのもあってか、綺麗に掃除されていた。


小さい頃は夏休みや年末年始、この家に来るのが楽しみだった。
自分の家とは違う、テーマパークに来たようなドキドキ感と祖母の優しい声、祖父の穏やかな笑顔が幼い佳代を迎えてくれた。

今はその笑顔が切り取られた祖父の遺影が、佳代を迎えている。懐かしさとまだ残る悲しみがチクリと胸を刺した。
しかし今回の訪問は、祖父を失った祖母を励ますためでもある。


「陽菜はお仏壇怖くない?」
佳代は持ってきたリュックを下ろしながら、切り替えるように明るい声で聞いた。


しばらく待っても陽菜の返事がなかったので顔を上げると、陽菜はほとんどおもちゃしか入っていない小さなリュックをぎゅっと抱えている。そして窓の方を指差した。


「ママ、あそこにいるの……」
「あそこ…?」


陽菜の指先を視線で追うと、佳代が背を向けていた窓にたどり着く。夕日がほとんど沈みきって薄暗くなった縁側に、浴衣を着た小さい背中が見えた。


「…お、おばあちゃん?」
「ああ、おばあちゃんそこにいるでしょ。陽菜ちゃんには『ひいおばあちゃん』ね」
驚く佳代をよそに、廊下から母ののんびりした声が聞こえてくる。


縁側に座った祖母は耳が遠く、佳代たちが訪れたことにまだ気づいていないらしい。
浴衣姿でうちわを扇いでいて、時々少し顔を横に向け何か言っているように見える。たまに笑いが混じる声が蚊取り線香の煙とともに、佳代たちのところに届いた。

一人で薄暗い中で佇んでいるのに、寂しげな印象がまるでない。むしろどこか楽しそうで、それが逆に少し異様にも見えた。


「暑くなってからかしらね。毎日そこで夕涼みするのよ」
「なんか……楽しそうだね」
「少しボケちゃってるみたい」


母は祖母を気遣ってか、声を潜めていった。


「え……」
「普段は普通なんだけど、毎日夕方はあの調子なの」


祖母はこの前の冬に卒寿を迎えている。年齢を考えれば、多少そういうことがあっても不思議なではないだろう。しかしそうとはすぐに割り切れない気持ちが、胸の中でぐるぐるとしていた。


「もうすぐご飯だから、様子見といてね」


それだけ言って母は台所へ行ってしまう。佳代は祖母をじっと見つめる陽菜の頭を撫でた。


「ひいおばあちゃん、楽しそうにお話してるね」
「そうだね」


ぎゅっと胸が締め付けられて、佳代は陽菜を抱きしめる。ママ?と不思議そうな声を上げるけれど、抱きしめる腕を解くことが出来なかった。
するとしばらく佳代を受け止めていた陽菜が口を開いて、妙なことを尋ねてきた。


「ひいおばあちゃんの隣でお話してるのが、陽菜のひいおじいちゃん?」
「隣でお話し……?」


佳代は必死に目を凝らすが、祖母の隣には誰もいない。
なにより祖父はもう死んでいる。いるはずがないのだ。しかし実の娘がそんな嘘をつく意味もわからなくて、佳代は陽菜の体を壁に向けた。


「あの写真のおじいさんと似てる?」


そこにあるのは、佳代の祖父であり、陽菜の曽祖父の遺影。
「うん。そっくり」
迷いのない陽菜の言葉が、佳代を確信へと導いた。


祖母はボケてなんていない。
祖母は『亡くなった祖父』と話していたのだ。


その夕涼みは、きっと祖父母二人だけのものだった。
母が住んでいた時も、孫の佳代たちが遊びに来ていた時にも行われない。祖父母たちが二人で暮らすようになってから出来た、夏の日課だったのだろう。


そして祖父が亡くなっても、その日課が続いている。
ただ、それだけなのだ。


「あとでどんなお話してたか、ひいおばあちゃんに聞いてもいい?」
「うん、聞くだけ聞いてみようか」


祖父との会話の内容は、きっと教えてはくれないだろう。
祖父と話していることすら認めないかもしれない。
でも、二人の小さな理解者がここにいるということはきっと伝わる。
佳代は陽菜に寄り添いながら、微笑む祖母の横顔を静かに見守っていた。


<終わり>

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