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勇気をもって手放した服が1円だった

ついつい惰性で買ってしまった服もある。けれど、多くの服は「ここがスキ」と言える。だからこそ、服を手放すのがとても苦手と感じてしまう。

さくら柄の白いフレアスカートを手放したお話。

服がたっくさんある

「フランス人は10着しか服を持たない」って言うけれど、わたしは花柄のフレアスカートだけで10着もある。しかも、これでも何着か手放した後の話である。

あれ、さすがに多すぎない?とじぶんでも思ってしまう。でもどれもお気に入り。いま手元に残している花柄のフレアスカートは、当分手放すことができないだろうなと感じている。だって、わたしのスキが詰まっているから。そのうえ、どれもちゃんと着ている。

でもクローゼットがパンパンで、さすがになんとかしないといけないと思った。だから、去年あたりからゆるゆると断捨離をしている。肩のラインがフィットしていないようなトップス、着なくなってしまったワンピースを手放してみた。

でもスカートは、なかなか捨てられなかった。だから丈が短く感じたり、シルエットが合わないと感じたりするスカートは手放そうと決めた。

それでもなかなか手放せないスカートたち

無地のスカートは、手放しやすいと感じている。だって、おなじような色で似たシルエットのスカートはたくさん存在していると思うから。でも柄物のスカートは、なかなか見つからない。しいて言えば、ドットやストライプは比較的見つかりやすい柄だと思う。

「でもおなじ花柄を見つけるって、至難の業じゃない?!」
「全くおなじ花柄なんて、この世に存在しないんだよ!!」

だからこそ、手放すときにとてもためらった。
日を空けて断捨離をして、そのたびに穿いてみては鏡の前でシルエットをチェックして…。このシルエットだと寸胴に見えるかも、丈が短く感じて心許ないかもとか。あえて粗探しをして、じぶんを納得させてみた。

そうすると、何着かは手放すことができた。そして、なんでこれを買ってしまったのか?と思えた。必要に迫られて買った。もしくは、違和感があるけれど持ってないシルエットだからと買ってしまったものだった。

そもそもの癖

「スカートとはフレアスカートのみを指す」
そんな謎の主張を持っている。タイトスカートは、就活で使用したスーツしか持っていない。トップスを求めてショッピングに行っても、ついついスカートを見てしまう。目に入るのは、どれもフレアスカートのみ。しかも多くの場合、花柄のものである。

それぐらい花柄のフレアスカートに執念をもっている。そりゃなかなか手放せないわけだと呆れてしまう。スカートを手放しているにもかかわらず、スカートをほしいと思ってしまう。

それぐらい、わたしには手放せないものだったのだ。いまは穿いていないけれど、かつてお気に入りだったスカートは特に。

とても強い思い入れ

さて、冒頭に書いたさくら柄の白いフレアスカートだ。

大学生になる少し前に購入したもので、おそらくクローゼットに入っていた服のなかで1番古いものになると思う。いまとちがって高校生の頃は、ほとんど服を持っていなかった。週6で部活をやっていたため、制服とほんのわずかな私服で十分だった。大学に毎日通えるほど私服を持ちあわせていなかった。

とにかく私服を用意するぞ!とあわてて服を揃えた春休み。そんなときに購入したスカートだった。さくらの花柄がぴったりの季節だった。

購入した翌年以降も、お花見のときの必須アイテムだった記憶がある。そして気持ちを高めるため、ちょっと気分が乗らないときによく着用した。わたしのなかでは、強い思い入れがある1着だった。

でも社会人になって、膝丈のスカートを通勤着にするようになってから、膝上の丈がとても短く感じるようになってしまった。そうすると、だんだん着ようと思う気持ちがなくなっていった。

ずっとクローゼットのなか

社会人になって早数年。この数年間は着られることもなく、クローゼットにしまわれたままになった。着たいとは思う。でも、これを着て外出したいとは思えない。タンスの肥やしになりつつあった。

膝丈で花柄のフレアスカートが増えていき、見向きもしなくなった。

購入時は、サイズ感に無頓着だった。でもいまは、より身体に合うものを着たいと考えるようにもなっている。このスカートはサイズが少し大きい。そしてきっと昔からそうだった。

だからこそ、もう手放そう。そう決めた。

最後のさいごまで迷った

でも、やっぱりお気に入りの1枚だった。強い思い入れがあるからこそ、直前まで迷ってしまった。手放すと決めた他の服たちと一緒にまとめて、BOOK OFFに持っていく瞬間、ためらってしまった。

でも、ここ何年も着ていないのだから。いますでに膝上の丈を着づらいと感じているのであれば、この先着ることはきっとない。だから持っていても仕方がないと納得させた。

買取価格はいかに

ここで急にお金の話をするの?と思うかもしれないけれど。

蓋を開けると、まさかの1円だった。
思い入れが強いからこそ、もう少し高い価格がつくんじゃないかなと期待していた。せっかく手放すなら、何かしらの価値が付いてほしいと思っていたのかもしれない。でも、付かなかった。

たしかに決して高価な服ではない。何年も前にハニーズで購入した商品だ。きっと、いまの流行とも異なるのだろう。わたしにとっては、とても価値のあったスカート。だが、市場ではそうではないということだ。

金額にするとたったの1円

そんなものに、わたしは執着していたのか。と、一瞬はそう思った。でも、わたしとっては価格ではなく、デザインや思い出を大切に感じていた。手放すはまちがいだったのかもしれない。そうも思った。でも、きっと着用することは二度とない。

これを書いているうちに、どんどん悲しくなってしまった。執筆途中に、思わずこんなことを呟いている。

少しの後悔はある。早まったかなって。
いま手放していなかったとしても、いつかは手放すことになるだろう。きっとそのときは、もっと手放しづらく感じる気がする。たぶん、いまがちょうどいいタイミングだったんだろう。そう思うことにする。

強がってみる。

服は出会い

さくら柄の白いフレアスカートは、すてきな出会いだった。お気に入りの1枚だ。もう手放したのに、そう思う。いつまで引きずる気ですか、わたし。と、ツッコみたくなる一文だ。でも、もう引きずってはいない。

断捨離中にこんなことを思うのもヘンかもしれないけれど、「お気に入りだ」と思えるような1着にまた出会えますように。

手放したスカートは、今後誰かの手に渡ることがあるのかな。もし誰かの手に渡れば、大切に着てもらえたらいいな。
廃棄されることになるのであれば、天寿を全うしたね、と。意味がちがう気がするけれど。

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