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それぞれのペースがある

 学校が大好きだった、という人がいたら、どんな小中高校生活を送ってきたのか、ぜひ教えてもらいたい。
 そうに越したことはない、と思っている。自分の知力、体力、コミュニケーション能力にがっかりすることなく、充実した活動をできたのなら、その方が良い。

 私は、というと、残念ながら学校は嫌いだった。大嫌いでもないから行けたが、大嫌い寄りの嫌いだった。
 そこで何を得たか。他者との違いの中で”自分”を確立していくことはできた。が、何もこんな不愉快な過程が必要なんだろうか、という感想。 
 みんなのペースについていければ一安心、そうでなければ劣等感に苛まれる。勉強は「良」、体育は「可」、生活態度は「良」というところだったろうか。まさに、可もなく不可もなく。親にも教師にも安心され、無難にやり過ごす。大きな失敗はないけれど、大きな成功もない。

 だから、自分の子には思いきり、思ったとおり、自由に、失敗なんてなんのその、たくさん経験してほしいと思っていた。
 のだが、現実は甘くない。子の素行を注意されて、もともとコミュ障なのを努力でカバーしてきたのに呆気なく人嫌いに戻り、今は可もなく不可もなく何も問題を起こさないのが一番だと、世間の目に怯えている。

 今日、子の個人面談に行ってきた。担任の先生は、親の心配もよく聞いてくださるが、なんとなく、クラスに問題児がいたとしても、だからこそ教師魂に火がつくという感じでもない。
 これは完全に私の主観だ。子の様子を「頑張っている」と話してくれ、学校での友だちとのやり取りや、私が話した家での様子に「成長」を認めてくれた先生ではあるが、たぶん、うちの子以上にいろいろ配慮しなければならないことがあるのだと思う。無難が一番という印象で、私が心配しているほど、子のことで話すエピソードもないようだった。

 ま、三十人近く受け持っているのだ、そんなものだと思う。でも、そんなもん、でいいのかなとも思っている。
 理想をいえば、無難にさっさといろんな課題をこなさなくていいから、もっと問題が起こりまくっても、その一つ一つに丁寧に対応してほしい。先生的には、限られた時間の中でできる限りそうしていると思うけれど、でも、もう少し、そこをなんとか、と思ってしまう。
 子どもたちの掲示物を見た。同じ文句が並んでいる。自分の良いところは、やさしい、おしえてあげる、あたまがいい、などなど。自分の子も然り。そういうものを見ると、利他の精神を学ぶという教育の成果を感じつつ、つまらないなと思ってしまう。一人くらい、じゆうにふるまえるところ、とか書いてほしい。
 無難第一主義で生きてきたかつての学生の一人として、たくさんのことを早く無難に周囲に合わせてこなすことにプレッシャーを感じていた私のことを、そして私の同類たちのことを忘れないでいたい。

 子は、私が面談の間、放課後クラスで待っていたのだが、「嫌だった」と会うなり言われた。
 何が嫌なのか、話すのが苦手な子から聞き出すのは難しいのだが、本人の話と子の性格から推測するに、仲の良い友だちがいなくて、親しくない人の輪にも入れず、一人でいても暇、というところだろうか。
 しばらく椅子に座っていたそうだ、が、やはりつまらなくて、仕方なくクラスの知っている子のところに行ったそうだ。

 子が放課後クラスに行きたくないのを知っているので、私はあらかじめ、「誰とも遊ばなくても、一人でなんかやっててもいいんだよ」と、一人大好きっ子だった先輩として、アドバイスしておいた。子の「椅子に座っててみた」という話を聞いて、ちょっと私のアドバイスを試した?と思い、いつも人の話なんて聞いていないようなのに、聞いててくれたのかもと思ってちょっと嬉しかった。

 子供会も辞めたことだし、私たちは私たちのペースでやっていこうと思う。「学校では頑張っています」と、先生が言うならば、せめて家では子のペースで過ごそうと思う。


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