わたしの海外生活 花の17才編
新しい道を探すためにまず色々な過去を振り返ろうと思う。
わたしは人生で4回の半年以上の海外生活経験がある。
1回目は17歳の夏から18歳の夏までの1年間。
「交換留学」という形でアメリカに飛び立った🇺🇸。
当時はまだ今のように留学ということがあまり盛んではなくちょっと変わった子達が海外に行く。みたいなイメージだったように思う。
12歳の時に初めてQueen のボヘミアンラプソディーを聞いた時、ミュージカルが大好きだったわたしは衝撃を受けそれから洋楽の世界にはまる。(この辺りの音楽遍歴についてはまた後日書こうと思う。私の音楽遍歴とても変)
洋楽にハマる=海外に興味を持つ。
海外に興味を持つ=海外ドラマを見始める。
中学生だった私はまんまとビバリーヒルズ高校白書にどハマり。
アメリカの高校生活への憧れが最高潮となった時に高校進学。
たまたま国際科というちょっと変わった科に入学したのをきっかけにますます海外への憧れが強くなり留学を決意。
そしていざアメリカへ🇺🇸
たどり着いたところは東海岸最北の地、メイン州。
そこでアメリカの高校はビバリーヒルズ高校白書なんかではないという現実を思い知る。
ホームステイの家は森の中。
馬を飼い休日は鹿狩りへ。
隣の家なんかどこにあるのかよくわかんないくらい遠い。
高校は高校で、英語が全く通じない何言ってるかわからない。とりあえず合唱のクラスだけは楽しかったけどあとはまさにちんぷんかんぷん。
そしてホームステイ先の同じ年の女の子と性格が全く合わずホストファミリー変更を申し出たらまさかの転校することに。
1999年12月30日。
私はメイン州からロードアイランド州へ引っ越し。
ロードアイランドでは結構穏やかに楽しく過ごせたと思う。アジア人がいなくほぼ白人しかいない学校で友達も出きホストファミリーとも仲良く残りの半年過ごせた。
そして帰国し日本の高校へ復学。
こともあろうが登校初日、私服で登校しへそピアスがバレ校長室に呼び出されたのも良き思い出。
その後は留学したことを生かすどころか英語とは無縁の人生を歩むことに。
特に理由ないがビバリーヒルズに憧れすぎて現実を見て、アメリカ熱が冷めたのだと思う。
しかしこの後3年後、21才のわたしはまた海外へ飛び出すことに。。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?