NYCB_ENGIN#9

New York City Breakersのメンバーで有り、プロHIP-HOPダンサ…

NYCB_ENGIN#9

New York City Breakersのメンバーで有り、プロHIP-HOPダンサーとして活動をしてきました。 近年では、ダンス界からは一線を画し、映画俳優として活動を軸に行っています。 サーフィンや車いじり、10年ぶりに「家庭菜園」を再開し、日々「土作り」に奮闘中です。

最近の記事

#004 / 大阪在住時代 001 - Living in OSAKA -

バブル崩壊直前の1989年、社会人として一歩を踏み出した。 当時はまだギリギリバブルの恩恵を受けていた日本経済。そんなバブル景気を体験出来たのはある意味幸いであったのかも知れない。 学生という身分でアメリカツアーに参加し「飲んで」就職をしたような物であったが、テレビ業界に足を踏み入れた自分。これまでやってきたコンピューターとは180°方向が変わった。 業界に入るにあたり、自分の中で一つ目標というか目指す所があった。それは「ディレクター」になりたいという物であった。特に「CM

    • #003 / Living in KYOTO -京都在住時代-

      高校を卒業後、田舎を離れ京都市内にあったコンピューターの専門学校に進学をした。 田舎を否定する気はないが、とにかく生まれ育った土地ではあったが、舞鶴という土地を出たかった。 当時の自分にとっては、具体的に「なにが」と言う訳ではないが、とても窮屈で、つまらない場所でしかなかった。 京都市内の学校に通うため、京都駅からほど近い「伏見区」の安い学生寮に居住をかまえ「学生生活」「都会暮らし」「独り暮らし」がスタートした。 学生寮とはいえ、専門学校の学生寮ではなく、近隣の大学など様々

      • #002 / Encounter with dance -ダンスとの出会い-

        京都府の北部に位置する「舞鶴市」。 海上自衛隊の基地があり、戦後引き上げの港として有名な土地である。 逆に言えば、それ以外特にコレと言った物は無い片田舎である。 そんな土地で生まれ、幼少期を過ごしたENGIN#9がダンスとどうやって接点を持ち、New Yorkという大都市に移り住むきっかけになったのか。 1980年代初めの頃の話しであるが当然だが、舞鶴という土地に「ディスコ」はもちろん「ダンス」と接点を持てる場所は全くない。 ちなみに「クラブ」と言われる営業形態が出てきた

        • #000 / Who is ENGIN#9

          このnoteは、プロHIP-HOPダンサーENGIN#9として生きてきた「足跡」を残す為に立ち上げたnoteです。 記事を書き始めるにあたり、まずは「ENGIN#9って一体誰なんだ?」という所を簡単に書き始めて行こうと思います。 ENGIN#9こと、本名「藤田尚弘 (ふじたたかひろ)」は、1996年京都府舞鶴市という片田舎に生誕をした、プロHIP-HOPダンサーであり、映画俳優、デザイナー、 映像ディレクターなど様々なクリエイティブ(創造)を行うクリエイターです。 高校

        #004 / 大阪在住時代 001 - Living in OSAKA -