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#002 / Encounter with dance -ダンスとの出会い-

京都府の北部に位置する「舞鶴市」。
海上自衛隊の基地があり、戦後引き上げの港として有名な土地である。
逆に言えば、それ以外特にコレと言った物は無い片田舎である。

そんな土地で生まれ、幼少期を過ごしたENGIN#9がダンスとどうやって接点を持ち、New Yorkという大都市に移り住むきっかけになったのか。

1980年代初めの頃の話しであるが当然だが、舞鶴という土地に「ディスコ」はもちろん「ダンス」と接点を持てる場所は全くない。
ちなみに「クラブ」と言われる営業形態が出てきたのは1990年代に入ってからなので、当時「踊り場」というのは基本「ディスコ」であった。

少しダンスとは離れてしまうが、そこに行き着く迄の過程として必要不可欠である話しを少ししておこうと思う。

田舎とはいえ、もちろんテレビやラジオ新聞などの情報ソースは存在する。しかし、それらの情報というのは一方通行で入ってくる物ばかりであり、現実的にその物がない土地にあっては、その情報が何処まで正しく、どこまでが歪んでいる情報なのかは判断がつかない。
その為、その情報に触れた際、それが正しい事実だと認識する以外ないわけだ。

小学校3年生(1977年あたり)になった頃、とある学習塾に通うことになった。
そこは、舞鶴という土地の中で少し異質であったという印象がある。
鉄筋コンクリートで新築されたその学習塾。田舎ではとても「最先端」な空気感を醸し出していたのを小学3年生ながら感じて居たのを記憶している。

その塾には、正に当時最先端だった、学習システムが導入されており、各机に設置された「回答ボタン」を操作することで、瞬時にクラス全員の回答を集計したりできた。

そんな学習塾に、当時としては誠に珍しい「パーソナル・コンピューター」が導入されていた。
何者なのか全く想像出来なかった「パーソナルコンピューター」に非常に心を引かれ、いつしか、塾に通って学習をするためではなく、そのコンピューターに触れるために塾に通うようになっていた。

当然、授業のあるときは触ることは出来ないのだが、日曜など塾自体が休講の日に、個人的に塾に出向いてパソコンを触らせてもらった。

そこで「BASIC言語」に出会い、このBASIC言語を使ってプログラムを書けば、このパソコンは、自分の思い通りに動いてくれると言うのを学習し、BASIC言語でプログラムを書くことに没頭し始めてゆく。
当時最先端のパソコンとは言え、でっかい机の様なコンピューター。性能も、それこそ、現代のスマートウォッチにも及ばないような代物である。
しかし、その時代はそれが最先端の技術だったのだ。

時は進んで中学校に入り、学習塾からも離れた頃、パソコンも小型化されて行き、少し余裕のある一般家庭であれば手が届く価格帯にまでなり始め、周りでも数人が自分用のパソコン(MZ-2000やPC6600など)を持っている奴が出始めた。
しかし、家にはパソコンなど購入する余裕は無かった。

工業高校の電子科に進学。
工業高校ではあったが、当時はまだ学校にコンピューターはなく、それこそ、コンピューターの内部構造(?)の一端とも言える回路の方を学んでいた。
自分自身が初めてコンピューターを手に入れたのは、この頃、学校の授業でそれこそ自作した「ワンボードコンピュータ」である。
コンピューターとは言え、モニターなどはなく、いわゆる様々な機器を制御するためのコンピューターで、回路が剥きだしのものである。

そんな当時、街の中心市街地に小さな電気屋さんが有り、そこの店頭にパソコンが置いてあり。
毎週の様にその店に行き、店長にお願いをして、パソコンを触らせてもらうようになり、自分で書いたプログラム(BASIC言語)を試していた。
その店には店長であるオジサンと店番をしている若いお姉さんが居た。

足繁く店を訪れていた自分は、店長やお姉さんから「ぼん」と呼ばれ、かわいがってもらっていた。
店番をしていたお姉さんは、当時はまだ20代だったのだと思う。

記憶が定かではないが、高校2年の夏休み前だったと思う。

そのお姉さんから「ぼん。今度大阪に行くから、あなたも一緒に来なさい」と中半命令を受け、何故かそのお姉さんと一緒に大阪に行くことになった。

元々そのお姉さんは、大阪に住んで居たという話しは聞いたことがあり、久しぶりに大阪に遊びに行くのだと。

お姉さんの車に同乗し、大阪へ向かい。大阪で、お姉さんの従姉妹という女性と合流。
2人の後ろをついて行くしか選択肢のない自分は、何処に行くのかも知らされず、とにかく迷子にならないように後をついて行く。

そして2人が当然のように入っていったのが、曾根崎の阪急東通商店街にあったディスコ「フォーカルポイント」である。
その時、正直参った。
田舎者だった自分にとって「ディスコ」なんていう場所は、前出の通り、一方通行のメディアからの情報でその存在を知っている程度で、その情報というのも、決して良い場所という情報ではなかった。
まだ純粋だった(笑)当時の自分にとって、そんな場所に出入りするなんて「不良」以外の何者でもなかったわけだ。

そんな場所に、俺のことなど振り返りもせず、2人は当然のようにスタスタと入って行く。この状況で、俺は一人ポツンと取り残されてしまった状態になり、色んな事が頭の中を駆け巡った。
そしてその答えが「このままここに取り残されたらマズイ」である。
慌てて2人の後を追い、3人で店に入店をした。
そこからの記憶は鮮明には残っていないのだが、初めて入ったディスコ。
爆音の中で、色とりどりのライトに照らされたフロアーで、音楽に合わせて身体を動かすという経験は心地の良い瞬間でもあった。

そう正に、ENGIN#9が「ダンスと出会った瞬間」である。

ちなみに、この時自分の記憶に残っている、初めて踊った曲というのがDEAD or ALIVEの「You Spin Me Round」である。
https://www.youtube.com/watch?v=PGNiXGX2nLU

この時、自分の中で2つのアップデートが行われた。
一つ目が、「ディスコ」という場所は決して悪い「不良の溜まり場」ではないと言う事。
二つ目が、メディアの情報というのは一方通行の情報であり「事実というのは自分の目で確かめてみないと本当のことは判らない」と言う事である。

そしてこの時の経験が、後の自分にとってとてつもなく大きな瞬間(出来事)
であり、まさか自分の人生を変えてしまうとは、その時はまだ気がついていなかった。

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