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あなたがそうなら素敵にちがいない

#妻

昨日は数ヶ月に一度の妻の経過観察通院の日だった。

それ系の日は妻は午後休を取ることが多く、
だいたい15時前後に予約を入れている。

随分前から「1/27の午後は空けておいてね」と言われていた。

車でいつもの総合病院に向かい、妻を降ろして車を停める。
一度帰ると往復でトントンになってしまうので、待っている方がいい。

それにしても、妻の病院といい、猫の病院といい、
駐車場での数時間を仕事や読書で上手に過ごせるようになってしまった。
院内に居てもいいのだが、コロナのこともあって車内の方が寛げる。
退屈したらラジオもあるし、エアコンだってつけられるし。

・・・・・

2時間ほど経ち、妻が車に戻った時は日も暮れかかっていた。

「お腹空いたね、何か買って帰ろうか、何がいい?」と妻。

そうくると思った、やったー。純粋にうれしい。

もちろん「お腹空いたね、帰ろっか」でも家にある食材で作れるのだが、
いつも通りきっと何か買って帰るだろうことを僕は知っていた。

数日前から緊張している所為もあってか、病院終わりは開放されるのだろう。
その開放感が買い物に表れるらしく、大抵何かを買って帰ることになる。

「何がいいの?」と聞き返す。

僕らはもう20代ではない。
「“何でも良い”は何でも良いとは違う」とか「あなたに決めてほしい」とか、
そういうイチャイチャ(イライラ)は求めていない。

ウチは妻が決める!その方が僕にとっても二人の関係的にも良い。

「じゃあ○○で美味しいお肉買うから連れてって」


#きゅうりの糠漬け

妥協や面倒ゆえに妻に合わせるのではない。
そうしたいし、そうした方が僕にとっても良い結果をもたらしてきた。

僕にとっての妻(総称や概念でなく僕の妻そのもの)は、
妻、恋人、友人、同僚、どれでもそんなに変わらないんだと思う。

なかなか偏っているところもあるし、頭にくることも多々言うけれど、
彼女の生き方とか人間性みたいな軸の部分に惚れているのかもしれない。

だから妻が決めることに頷けば、それで自分も納得できる。
妻が決めることを僕もやりたい、とでも言おうか。

自分がないとの批判とか、ラブラブやノロケとの茶化しとか、
そういうのは超えた人間愛みたいなものかもしれない。

究極は、嫌っても離婚しても、人間としては好きかもしれない。
(伝わるかしら)

他に、僕のイメージでパッと浮かぶ、そういうのに当てはまる人は、
石田ゆり子さんと、クリス智子さん。
(急にミーハーな話になったけどw)

石田ゆり子さんは女優さんで、クリス智子さんはラジオパーソナリティの人。

2人に共通するのは、(飽くまで僕の中でw、)
女優かどうか、ラジオパーソナリティかどうかは、もはやどうでもいい人。

好きな物とか生き方とかが、振る舞いや話し方や装いに滲み出ていて、
そこを好きな人たちが周りを取り囲んだりフォローしたりしていて、
彼女らが次に手がけることは何でも応援したくなるような。

本業が生きていることそのもので、
副業が女優であったり、ラジオパーソナリティであるような印象。

僕の中のnote、僕がnoteに求めることもそうかもしれない。
フォローさせていただいている方の多くは、
文章の面白さも然ることながら、視点や語り口などの軸に共感する部分が大きい。

・・・・・

「きゅうりの糠漬け」が好きな人は、
“きゅうりだから”糠漬けも好きなのか、“糠漬けだから”きゅうりも好きなのか。

どちらであれ、「きゅうりなんだからどんな料理だって絶対美味しい」とか、
「糠漬けは何だって好き」とか、そう言ってもらえる軸と幅を持っていたい。

「きゅうり×糠漬け」の時だけ限定で愛されるような人だと、
面白味に欠けてしまい、この先はなかなか生きにくいかもしれないな、と思った。

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最近、猫のことなどに大きく気を取られていたせいか、
(週1で混ぜるタイプの)糠床を3週間くらい混ぜていないことに気付いた。

あわてて確認したら、頑張って生きていてくれて、心底ホッとした。
謝りながら混ぜつつ出したきゅうりは、しっかり美味しい古漬けになっていた。

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