見出し画像

好意の仕訳け帳をつける 安心と寵愛


自分が好意を持つ(持たれる)本当の理由を考える上で
好意の損益計算書をつけてみる

・「安心」・・・自分を出せる 欲しい 自分収益 相手支出
・「寵愛」・・・相手を安心させたい あげたい 相手収益 自分支出

安心と寵愛は同じ好意でも真反対、収益と支出の関係

10:0なら子と母の関係がしっくりくる。

大人同士なら安心と寵愛のバランスが5:5が理想



自分は人を好きになるにはそれ相応の責任を持って好きになった。
好きな人とは一緒に居たいと同じくらい「一緒に居たい」と思われたい。

「この人と居るとマイナスだな」と思ったなら、怒りを伝えず離れる
でも自分とプラスの関係だと思ってた人に突然「貴女と居てマイナスを沢山受けた」と言われると、償いを経てプラマイ0にしないといけないという「責任」があると思っている

急に「酷い!失望した!嫌いになりそう!」とされた時、
「ごめんなさい」とまず思う。そんな思いをさせてたんだね。嫌な事はなるべく治してあげようって、安心してもらう為に「寵愛」を払う

払っても払っても失望が埋まらず、寵愛を払うために自分の心をすり減らし続けても尚「こうしてくれたらまた好きになるよ!」の脅迫に応えて寵愛を払い続ける

相手から寵愛がないから安心を貰えず、不安が募り続ける

「そんな嫌うなら私も嫌いでいいや」と思うまでに長い間年月をかけて、過払いしまくっていた

限界を感じて「これでは割に合わないな」と離れるまでに、価値観も時間も手間も金も膨大に奪われた

そろそろ心の防犯対策を徹底しないといけないなと思い、

学校、家、職場で恋愛、職場、同性異性上司後輩色々経験したハラスメント被害の「始まり」から詳細に考え起こしてみた

彼等には共通して

グイグイ寵愛を払ってくる「時期」があって


「初対面の関係性が解らない時」
「悩んで弱ってる時」
「相手を尊敬している時」

「大好き!大好き!貴女はとても大事な人!」
「悩みを聞いてあげる!私だけは貴女の味方でいてあげる!」
「俺は立場が上だけど、お前の事は買っている」
等々

関係の主導権を握り易い時に近づいてきて
「特別心を許せる相手」に立候補して
好意的な関係の決定を迫ってくる

という共通点があった

その時は寵愛をかなり積極的に受けるんだけど

この好意や気遣いに
「とにかく自分の思った行動を迷い無く与えて感謝を期待する」事が多い
自分の与える寵愛が「相手のプラスになってるか」の確認がない。疑ってもいない。

一方此方はその好意が自分にプラスに働いたかどうかより
「好意を示してくれた」事に重きを置いて感謝してしまう
弱ってる時なんかは特に、どんな寵愛でも貰えるだけ有難いし美味しい物だ

「ありがとう。私も貴方が好き。大事にするよ」と
自分の好意を今度は「相手のプラスになるよう」返そうとする

ここで既に価値がずれ始める

「自分の考えや感情のままに好意を与える」と
「相手の+になるよう配慮して好意を与える」は、同じ寵愛でも貰う側のメリットに大分差が出る

しかし彼等は「お前の為に(俺が勝手に思って)やったのに・・・」と言う()を隠して二つが同価値だと騙したり、押しきったりするのだ


「好意だ!」と宣言すれば、殴ろうが、無視しようが、怒ろうが全部「好意」なのである。相手に+に働いてなかろうが感謝を脅し取り
それなのに相手の好意は「自分にプラスかどうか」を徹底的にシビアに選び、批判する

自分のメリットと相手のメリットの差額を搾取し続ける。そしてずらそうとし続ける

最初の「大好き!大好き!大事な人!」の押し売りは
巨額な寵愛の貸し付け金

ハラスメンター達は

「俺が安心10払うから、お前は寵愛10寄越せ」っていう
同じ「好意」って名前だからとむちゃくちゃな取引を押しきるんだよね

嘘や暴力や暴言で相手から安心を奪って不安にさせる
寵愛を渋って自分の価値を上げ始める。

相手が離れようとすると、不安が拭える程度のギリギリの寵愛を払う。
・・・そして、また「安心」して好きになれたら、寵愛を搾り取る。


好意や善意は惜しみなく出せば出すほどいいと思って、相手からもそれなりに返って来ると思って生きてきたけど
受け取る側からしてみれば「いっぱい返すのが面倒だから値切ったり価値を下げる」事もあるんだなと学習。





私の周りに居る人は、程度の差はあれど
「好きか嫌いかで行ったら好き」な人ばかりだと思っていたが、本当だろうか

気持ちの整理が必要かもしれない
自分は本当に相手を好きなのか?
それとも押し売り寵愛の返済を迫られて「好き」で居る事を強制させられてないか?


「家族だから」
「恋人だから」
「友人だから」
「可愛い後輩だから」
「尊敬する先輩だから」

今年は↑の関係性に拘らず
自分の好きな人が、自分をどうして好きでいてくれてるかしっかり観察して、安心と寵愛の適正バランスを調整しよう。
人間関係を明確に、適正距離を見直す事が
食い物にされない自分を作るんだと思う。
相手からの取引を鵜呑みにしないで、自分の人間関係をもっと能動的に動かしてみよう

そうだな
正直私は「相手のプラスを瞬時に察知して最高の寵愛を与える」
そんな自信は無い。
だから相手にもそこまで「自分に対して最高の寵愛を与え続ける事」は求めない
その代わり求められ過ぎたくないし、自分の寵愛を審査されたり、遠慮なく「価値が無い」と言われたくない

あと寵愛の催促も嫌だな
貰った時に「有難う」で充分だし、お互いあげたい時にあげるくらいでいい
見返りを求める「押しつけ寵愛」は特に注視しなきゃいけない。私はこれに食われ易い人間だった

それさえ気をつければ、緩い寵愛と安心の交換が出来そうな人を探してもいいかもしれない

沢山の人に好かれるとか、尊敬されるとかは要らないな。返済に困る
尊敬を逆手にとって搾取する人間にもなりたくないし、人間関係を欲張るのは辞めよう

関わる人は少なくていい、信頼を育てられる関係を築く

その分、仕事や自分の思考整理に時間を使おう

ってのが、今年の目標かな。


令和2年。楽しみになってきた。



読んで頂いて有難うございました!(*´∀`*)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?