見出し画像

サピエンス全史

サピエンス全史の上下巻を読了した。

途切れ途切れで読んでいたので、長くかかってしまった。

ビジネス書のカテゴリーで随分売れたようなので、知っている人が多いと思う。本は人類がどのように進化し、文明と帝国を築き自らを発展させていったのかを世界の様々な例をとって教える。時にはオセアニア大陸の発展を例に、アジアやヨーロッパ等の歴史の事例に話が及ぶこともある。まさに地球上で生きてきた人類(サピエンス)全てが主人公だ。

上巻ではっとしたのは我々の国家は実体のない幻想をもとに成り立っているというところだった。思えば資本主義にも経済にも実体はない。実体のないものを我々はあたかも実体のあるもののように信じている、或るいは信じているように思っている。その不思議とその不確かさに驚いた。

又、偏見の殆どがそんな幻想を基に成り立つ社会から生まれる。男女差や経済格差、暮らし向きの良し悪し…。なんだか不思議なものだ。偏見がなくならないのは社会が変わらないからだという事はこの本を読むとよく分かるし、私たちが普段直面する差別や偏見の殆どが幻想だと思うようになると、世界や人を見る目が少し変わる。

下巻での気づきはテクノロジーが発達し私たちは容易且つ安価にゲノム編集をしたり、自らの身体を拡張したりできるようになる未来が来るという点。神の領域とされていたいのちの編集を人間がする時、どういう未来になるのか…。筆者は私たちが知らない全く違う世界になるだろうとは予測しているものの明言をしていない。そして生命の領域でのテクノロジーの発展はサピエンスを絶滅させるだろうとも言っている。これだけ少子化が進んでいるのを見るといつかは私たちは絶滅すると思う。でもテクノロジーが絶滅を早めるとはあまり考えたことがなかった。テクノロジーが私たちの脳とデバイスを直接つなげることに成功すればいずれ身体は必要なくなる。それが加速すればサピエンスの身体を含む存在が絶滅へ近づくという事らしい。

又、筆者によれば私たちは苦しみや悲しみも避けてしまえる仕組みも作れるということ。あらゆることが制御できてしまうのだ。その日がきたら私たちはもはや人としての感覚を失っていくのだと思わされた。

人としての感覚。それは何か。

感情があり身体があること。

何かに触れてその実を体感すること。

人は悲しければ涙が出て、感動すれば震える。

痛みがあれば苦痛に思い、気持ちが落ち込んでくる。

楽しいことがあれば笑い、嬉しいことがあれば歓喜する。

こんな感覚が当たり前の今がいつかなくなるかもしれない。そう考えると今感じるマイナスもプラスも貴重でいとおしいものとして捉えられる。

サピエンスがいつか滅びるとしたら、私たちは人類の歴史の大分後半を生きているかもしれない。そう思う時人類の長い年表のほんの一瞬に生きる自分とその尊さがイメージで交差する。

毎日狭い世界でなんとか生きようとする時、人類の歴史を同時に俯瞰する瞬間がなかなかクロスしない。

でもたまに思い出せるようにしたいと思う。

人間らしさが尊いということを。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?