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佐藤くんのこと

佐藤くんの事を書こうと思う。

私は小学校3年生で転校した。

転校生はいじめられるという定説のごとく?いじめられた。うわばきが隠されたり、教室に入れてもらえなかったり、何もしていないのに言いがかりをつけられたりしていた。結構陰湿なのもあったと思う。大人しくてよく泣く子だったのでいじめがいがあったのかもしれない。どれぐらい続いたのかよく覚えてないけど、当時産休で休みに入っていた担任の代理でクラスを受け持ってくれていた浜田先生に親が相談したところ、すぐにクラス全員に向けて話す時間を作ってくれた。残念ながら全くその話の内容については記憶がないのだけれど、その時の浜田先生の話は子供達に非常に響き、いじめはぴたっと止んだ。

私は教室に馴染み、何ならそのいじめっこ達とも非常に仲良くなり毎日楽しく過ごしていた。

そこに佐藤くんが転校してきた。

佐藤くんは色白で目がくりくりとしていてかわいらしい容姿をしていた。高音でハスキーな声だったと思う。佐藤くんがクラスに馴染むにつれ、私達は知った。佐藤くんは暴力をコミュニケーションに使う子だということを。

何の理由もないけれど、佐藤くんは人の髪をひっぱたり、身体を投げ飛ばしたり、突飛ばしたりするのだ。標的はなく誰彼構わず何か文句をつけては暴力をふるった。

私も掃除の時間に身体をつかまれぐるぐると回転させられて教室に投げ飛ばされた時の事を覚えている。他にもいろいろされたと思う。それでも私は佐藤くんを憎むとか恨むという感情を持った記憶がない。とても怖かったけれど不思議と憎しみは生まれなかった。

毎日のように繰り広げられる暴力教室に、みんなお手あげの状態が暫く続いた。佐藤くんはいつも投げ飛ばす人を探していたような気もするし、誰かと話したそうにしていた気もする。佐藤くんの存在はとにかく異色だった。そんな中遠足の日がやってきた。

遠足、、、、それは学校の外に出てみんなでおやつを食べて良い日。遠足、、、それはいつもの学校生活とは別の体験ができる特別な日。

そういう特別な日を迎える時、高揚し楽しみにする気持ちがいっぱいになって、大概私は喘息になった。私は遠足に行けなかった。

ああ、、、悔しい。準備したリュックサック、おやつ、お弁当のプラン、みんな台無しになった。げほげほ咳き込みながら私は自分の持病を恨んだ。こういう事があった時、母親と部屋にシートを広げて疑似ピクニックをした事もあったと思う。そこでおやつを食べたり、持ってくはずだったお弁当を食べた。それはそれでとてもやさしい思い出だ。

遠足の翌日学校に行ってみると、クラスの様子が変だった。なんとなくみんなの雰囲気が違う。そして私は知る。遠足に来なかった子供がもう一人いた。佐藤くんだ。

そして佐藤くんは突然死んだ。

佐藤くんの机には花が生けられていた。

交通事故だったらしい。

私はじっと生けられた花を見ていた。

先生によると佐藤くんのおうちは母子家庭で、佐藤くんには弟がいた。夜の仕事で母親がいない時、佐藤くんは弟と二人で留守番をしていた。でもあの夜、佐藤くんは何故か大通りまで自転車を走らせた。大通りに出る角で大型トラックと衝突し亡くなってしまった。

誰も何故佐藤くんが夜自転車で出かけていったのかわからなかった。

佐藤くんが死んだという事は、私にはショックな出来事だった。それから何故かクラス代表でお葬式に出る事になり、叫ぶように泣く佐藤くんのお母さんを見たりして、心も体も落ち着かずバタバタとした。

そしてわたしは人は死ぬという事を知った。佐藤くんを思い出す時私の脳裏に浮かぶのは佐藤くんの暴力ではなく、佐藤くんの机に生けられた花だった。佐藤くんの死の話を担任から聞いた時、教室の片隅に植えられた枯れた植物をずっと見ていた。佐藤くんの死は枯れた花の姿と重なった。

ずっと大人になってからも、何故かふいに亡くなった佐藤くんを思い出すことがある。最近も毎日体調が悪くてなんだかわからない不安を抱えていて、ふと佐藤くんの事が思いだされた。

ぐるぐると桜のはなびらが地上を舞うのを見ながら思った。

佐藤くんはもう私のように年は取らないし、生きない。私は佐藤くんが生きなかった年齢をまだ生きている。それはとても不思議な感覚だった。

佐藤くんは死んだけど、こうして私は思い出す。その時佐藤くんは死んでいないという感覚がする。こんな風にふと現れて生き続けるのだという感覚がする。

桜は春に咲くし、芍薬は今つぼみを湛えている。梅雨には紫陽花が咲き、夏には百日紅が花をつける。そうやって植物を見るとき、そして私の人生が何かとリンクするとき、佐藤くんは現れる。

佐藤くんの生きなかった年をまたひとつ重ねる。




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