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アート鑑賞とセラピー

今日はアートについて書こうと思う。

アートはここ数年で凄く好きになったものだ。ここ数年はとにかく辛い事が多かった時期だったので、私を支えてくれたものであり助けてくれたものでもあったと思う。

アート鑑賞って何だろうとたまに思う。

アートってどうやって観るんですかって聞かれたことがあって、うーん。。。と言葉に詰まってしまったことがある。美術ってその作品の背景とか時代とか歴史を知らないと楽しめないと思う人が多いと思うんだけど、私はそういう情報は作品をより良く知る手助けにはなるけど、必須ではないと思っている。

それで私が鑑賞中にしていることは何かと考え、鑑賞中にしていることを整理してみたいと思う。概ねこんなことをしているなという感じのこと。

①作品の前に立ち、その作品を眺める。

作品の前に立つ時、自分はまっさらになっている。誰に何をも強いられてもいないし、誰かに答を強要されてもいない。どう在ろうと自由。応えない自由もある。ただ自分はそのままでその作品の前に立つ。そして眺める。色や形や造形を眺め全体を眺める。

②深める

好きだなと思う部分を見つけたら、何故そこが好きかを深める。そうしているうちに自分の中で作品に呼応していく感情や記憶や体験が導きだされる。それをなんとなく確かめる。その確かめる感じは曖昧で良い。きっちり言語化しようなどとせずイメージをふわふわと浮かせておくのがとても気持ちが良いのでおすすめ。

③逆に違和感や嫌悪感を覚えたら、それも深める。違和感や嫌悪感は普段気に留めていないけど、自分が囚われているもののサインである事がある。例えば私はボルタンスキーのLife time という展示(https://boltanski2019.exhibit.jp/)で死をテーマにした作品を観た際に不気味な不穏なものを感じた。それは今まで自分が死について刷り込まれたイメージを確認するきっかけになった。

④作家の声を聴く

作品は美術館での展示の場合美術館が用意した説明コメントとともに展示されている。それを読むと作家自身の当時の状況や今までどういうものを作ってきてこの作品にたどり着いたのか等がわかることがある。例えばピカソはカサジェマスという友人が自殺をした時画風が変わった。青の時代だ。例えばバスキアは人種差別をテーマとした作品を繰り返し描いている。彼が受けた差別を知る事で彼が生きた時代やバスキアの人生の背景を知る事ができる。そういう情報が気持ちに留まったらそれを始点に作品を観てみる。作家の経験に共感したり、拒絶したり、もしくは静観する。何でもいいが反応をしてみる。

こんな感じの事をただ繰り返す。

⑤展示のテーマと繋がる

作品を眺め作品や作家と繋がり呼応しつつ、展示のテーマを振り返る。例えばポーラ美術館で今行われている展示シンコペーション:世紀の巨匠たちと現代アート(https://www.polamuseum.or.jp/exhibition/)では、シンコペーションがテーマだ。シンコペーションとは基準となるリズムの拍をずらして楽曲に変化を与える音楽の手法らしい。この展示では現代アーティストの作品が過去の巨匠達の作品と一緒に展示されるという拍を違えた試みが行われている。その試みを心に留めて展示を観るのもおもしろい。

こんな感じのことを毎回繰り返す。

そうしていると作品と自分の中に接点ができてくる。接点を頼りにどんどん作品と繋がっていく。そうしてできたその接点を気に留めて毎日の生活に戻る。そうするとふいに何かの機会に、あ、、、と作品が蘇る事がある。私はボルタスキーの大量に服が積まれた作品を観た時にまったく知らない人の記憶と自分達がいかに繋がれるかというボルタンスキーのテーマを見知っていて、ある時母が着ていた服をリメイクしたものが部屋にあったのを見て洋服がいかに記憶に残っているかを再認識した。こうやって展示の後も繰り返し自分の中に残るものがあり、時間をかけてあれはなんだったのかとゆるく追っていくのが作品とのかかわり方だなと思う。日常生活に戻っても尚自分の中で反芻できるテーマがあると本当に実りが深い。

私は鑑賞をしている時の自分が好きなのだけど、それは自分が無になって何もないって状態になれるからだという気がする。そして作品も何も強いてこない。そういう関係がとても心地よいのだと思う。ひとことでいうととても自由な状態。そういうことになる。

それで、最近はこういう鑑賞行為自体が自分のセラピーになっているのではないかと思っていて、それを深めてみたいなと思っている。自分の記憶や自分自身にあるものが呼応する切っ掛けになるから結局自分と対話するような感覚もどこかにあるように思っているし、鑑賞中にでてきたものはみんな肯定されるから。

もしアート鑑賞がセラピーとして成立するなら疲れてる人とか休んでる人がアートという自由な場でまた自由な状態で自分を回復する何かを得られれば良いのになと思っている。




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