「あなたのために…」は大切な人を壊す甘い言葉。

先日、20代の女性にキャリア相談をされた。

「彼との結婚を見据えて、仕事を辞めて(バイトにかえて)彼を支えようと思う。どう思います?」と言った内容だった。

よく話を聞いてみると、海外転勤のある彼との結婚を見据えて、少しずつ料理や英語の勉強をするために、仕事を辞めて一時的に実家で暮らそうとしているらしい。

私としては「やめておいた方が良い」という感想しか湧いてこなかったのだけど、その理由として「具体的に結婚が決まっているわけではないのに」とか「彼と話し合えてないのに」といった類のことはどうでも良くて、単純に「誰々のため」を主軸においた人生設計は自分だけではなく、大好きな人も不幸にしてしまう選択だと考えるからに尽きない。



「あなたのためにやってるんだよ」
「あなたを思って言っているんだよ」
「私があなたを支えるから」
「誰のオカゲで偉くなったと思っているの」
「あなたのせいで、こんな目に遭っている」

と言われた経験が私にはあまりまない。

きっと、これまで多くの人に支えられてきただろうし、今もかなりの人に支えられてどうにか生きている。

それでも、親や友人、夫や妹、仕事仲間たちからこんな言葉を放たれた記憶が一切ないのは恵まれているんだと思う。

一方で自分をふりかえると、この言葉を放った記憶は何度かある。

一番新しい記憶だと、出産後に障害が進行して骨盤が崩れてた時。そろそろ、産休から職場復帰する寸前。夫は凄く忙しかったしテレワークもなかった時代。私が娘と夫のために仕事をやめて家族を支えていこうと強く思った。
「のん(娘)のためにも母親がそばにいてあげた方が良いので仕事は辞めます。」と言ったのだけど「文菜が1人で育てるのがのん(娘)のためだという意味が良く分からない。」と却下された。「家事をしっかりやって家族を支えます。」とも言ったのだけど「家事は誰にでもできる仕事だから文菜がそれをする必要はないよ。」と却下された。
足が痛くて正直不安で仕方なかったから、夫や娘を盾にして家に籠っていたかったのかもしれない。

ニーチェが「ツァラトゥストラはかく語りき」を通して言っている

どれほど良いことに見えても「誰々のため」に行うことは卑しく貪欲なこと。それが失敗した時には相手のせいにする心が生まれるし、上手くいったと思える時には自分の手柄だと慢心が生まれる。

ツァラトゥストラはかく語りき


私も自分の経験を思い返すと「誰々のため」は「自分のため」だった。

「あなたのため」は「わたしのため」

あの時に仕事を辞めていたら私のすべてのエネルギーが家族に向かっていっていたかと思うとぞっとしかしない。

部屋はピカピカで、合間をぬって整理収納とか料理教室なんかに通って・・・なんなら、そんな資格を取って家じゅうを仕切っていただろう。

栄養満点の食べきれないほどの料理を作って、夫の体調管理をして、出世のために必要なロードマップまで書きかねない。

娘に対しても、単に詰め込み型の教育ママになるなら話は早いけれど「学習塾に入れたり幼児スクールに通わせるなんて、そんな母親になりたくない!」みたいな訳の分からない呪いを抱えている私は、教育理論の本を読み漁りながら、朝から日が暮れるまで遊びというなの教育を体験させなければと必死になっていた気がする。
もちろん手作りのお菓子しか食べさせないだろうし、それを夫に説いてそう。

そして、2人が上手くいかなかったらきっとイライラしただろう。

「私は仕事まで辞めてこれだけやっているのに…」とか言いかねない。

そんなことより、ここでグチグチして終わるならまだ良い。

突然「そっかぁ。分かりました!なぜ上手くいかないか分析しましょう!」などと言って勝手に家族会議を取り仕切り、ムリヤリそれぞれの目標設定をして週単位のタスクを作り進捗管理を始める可能性さえある。

うまく行った暁には「私がいたからかな^_^」と慢心しただろう。

そのうえ、上手く行った2人が私の手の届かない存在になってしまったら「私だって仕事がしたかった。あなた達のためにキャリアを諦めたんだよ!」みたいな感情論で自分の存在を誇示させてしまう予感さえする。
だって、その時の自分には何もないのだから。

恐ろしすぎて我ながら震える・・・。


ツァラトゥストラはこうも語っている。

私たち(人間)は自分のことしか考えていないのだ。
純粋に能動的な愛から行われるときには「~のために」という言葉も考えもでてこない。

ツァラトゥストラはかく語りき


「~のために」って言葉が出てきた時点で、それはすでに「自分のため」なのだよという意味で理解している。

ここで冒頭の相談に話は戻るのだが「彼のため」を軸に置いた人生設計はとても危険で、自分はもちろんだけど大切な彼との関係さえも壊しかねない。今の仕事に対する苦しさを「彼のため」という大義名分を作って逃げてはいけない。

私たちはとても弱いから「誰々のため」と言いたくなる瞬間は何度も訪れる。

ただ、そこに甘えた瞬間に大切な誰かを壊してしまう可能性があるのを知っておく必要がある。

私たちの人生はだれのものでもない。私だけのもの。「あたなのために」と恩を着せられる必要もないし、恩を着せる必要もない。「彼のため」を選んだ人生も自分自身であることを忘れてはいけない。

だからこそ自分の人生を自分のためにしっかりと生きていきたい。そんな人同士が共に歩むから人生は豊かで温かいものになるはずと信じて。


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