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鮮度の良い感情表現が、いつも美味しいわけじゃない。

人に感情をストレートにぶつけるのは、あまり得意ではない。

それを平気でやってのける人に出会うと羨ましくもあったけれど、今はそうでもない。感情には鮮度があると思うのだけれど、感情を乗せた言葉の鮮度と美味しさのバランスって難しいよねって話です。(結論)

こんばんは。にゃんちーです。星読み屋さん時々タロット使い。noteは徒然なるままに、筆ならぬ指を走らせよう。(キーボード打ってるわけだし)
何者でもない私としてを徒然なるままに書こうと思います。こんな夜更けにnoteです。連投だな、しかし。

人として残念すぎると思うのだけれど、私は人の気持ちが良く分からない。良くわからないので「なんで?」とか「どこが?」とか、具体的に何なんだよと質問してしまうことがとても多い。しかしながら、それは結構な確率で火に油を注ぐこととなる。もはやそれに対しても「なんで!?」なのだけれども。コミュニケーションにおいて、致命的だと自覚もしている。

チャチャっと感情を言葉にするのが苦手だから、よくよく考えてものを言いたいくちだから、とりわけ感情を話し言葉に変換するのにとても苦労する。今ここで書いているわけだけれども、活字というのは吟味する時間があって、一人でもっつりこっつり書いているだけなので気ままなのである。言いたいことを出来るだけ明快な言葉に置き換える、精査する時間もある。

それが会話となると、どうだ。

私の言葉を今か今かと待っている人がそこに居るのだ。焦る、単純に焦る。そして焦れったい早くしろという無言の圧力すら感じる。ごめんなさい、と毎度思う。もう色々ごめんなさい、と思うのだ。

私はまず感情を言葉に置き換えるのに時間がかかる。選んだその言葉で良いのか、単語を並び替えるなど脳内で推敲作業があるのだけれど、そこでもまた時間がかかる。話しながらではできないので考えている時間が恐ろしく長い。しかしそれと同時に、この作業のせいで私の感情の鮮度は落ちていく、ような気もする。それゆえ、冷たい物言いになってしまうようなのだ。感情が伝わりづらいのだろうし、理屈っぽい話し方にもなるのであろう。相手の四方八方を塞いでしまって、論破してしまうことも良くある。

幼い頃から、母に言われ続けている言葉がある。

絶対に逃げ道を1つ残しておいてあげなさい。

実はこれが未だに出来ない。

全部言わないと辻褄が合わないので、全部言ってしまうのだけれど、全部言ってしまったあとで、相手の顔色を見てハッとするのが毎度です。ごめんなさい、とやっぱり思うのです。

しかし同時に、本当のことを言っただけなのにな、とも思います。聞かれたから答えただけなのに、どうしてあなたが傷つくの?とも。流石にそれは口にしてしまうと火に油、もしくは泣きっ面に蜂になるから言わない。その辺の配慮というかマナーは一応身についている、はず。

傷つけたのならごめんなさいが省略されて「ごめんね」になる。割と会話の中では良く謝っていると思う。人の顔色ばかりをうかがっていると思う。聞かれなければ何も答えない、受け身にもなっていると思う。だから、とても自信のない子に見えていると思う。

ずっと昔はそうじゃなかった。
でも自分が話すとなぜか傷つけて泣かせちゃったり、意味分かんないくらい怒らせちゃったりして、回り回って最終的に自分が傷つくことが多かった。悲しい思いをすることの方がずっとずっと多かった。

いつの間にか、私は自分の気持ちを言わなくなった。

人と違う気持ちほど、言わなくなった。

色んな気持ちを自分の中で良く噛んで味わって消化するようになった。

言葉にしないと伝わらないとは思っているので言うことは言うのだけれど、とりわけネガティブとと呼ばれる感情をストレートに吐き出すことは今でもしない。単純にインスタントな感情の放出が好きじゃないのだ。

ここが鮮度と美味しさのバランスなのだけど、まあ本当に難しいのである。

相手がどう受け止めるのかは相手の問題なので、そこまで責任持つ必要もないだろう。だからと言って感情をぶつけて相手を傷つけて良い理由にはならない。インスタントな感情の表現は、瞬時にその場をコントロールすることが出来て、実はとてもお手軽なのである。それが一番分かりやすいのは怒りだろう。怒られると萎縮してものが言えなくなるでしょ?怒っている人がその場の支配権を握るんだよね、そうやってね。

一度言い放った言葉は、どんなに謝っても、この世からは消えないのである。むしろ話したその言葉はそれ自体は、時間の経過とともに一瞬で消え去ってしまうのだけれど、相手の心の中でじくじくと膿んでいくこともある。ぽかぽかとホッカイロのように温めてくれることもある。

やっぱり、感情の鮮度と言葉の鮮度は同じじゃない。
鮮度が良いことがいつも美味しいわけじゃないのだ。

なんだかとっちらかった構成になってしまったので、終わります。

今日はもう寝るんだ。
じくじくした痛みを抱えながら、痛くても自分で膿みを出して、ゆっくり傷を癒していくんだ。失望と絶望の狭間でゆらゆらしながら、それでも絶望なんかするもんかと夜空を見上げながら、まだ信じていたい、まだ信じれると確かめながら。

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