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映画レビュー ヒトラー 最後の12日間

制作 2004年 ドイツ
監督 オリバー・ヒルシュビーゲル
出演 ブルーノ・ガンツ
   アレクサンドラ・マリア・ララ

あらすじ
1945年4月20日、ベルリン。迫りくるソ連軍の砲火を避けるためヒトラーはドイツ首相官邸の地下要塞に退却していた。
味方すら敗戦を疑うものはいなかったが、もはやヒトラーは正常な感覚を失いつつあった。
ついに敗北を決意した彼はある重大な決意をすることになる。ヒトラー最期の12日間を、秘書、ユンゲが敗戦後はじめてあからさまに告白した実話。
(アマゾン商品紹介より)

本作はヒトラーの若き女性秘書ユングの回顧録をもとに作られているというのが一つのポイントです。
ヒトラーとその側近たちが他で描かれるものより人間的に描かれ、同情的な視点も垣間見えるところが、賛否分かれているようです。
終末期の12日間を描いているわけですから、イケイケ絶頂期を描くものより悲哀が現れるのは必然で、それを意図して狙ってのことでしょう。
その狙い、私は映画としては好意的に受け止めます。
 ヒトラーとナチスドイツを語るとき、
恐ろしい狂人(ヒトラー)の巧みな言葉と恐怖政治によって洗脳された、思考停止の殺戮実行部隊が(ナチス)だという見解が多いようですが。
私は常々その見解には疑問を感じていました。
ヒトラーがユダヤ人を虐殺してなそうとしていたのは
民族の浄化、統一ではないかと思うのですが、もちろんそんな思想は狂気の沙汰とは思いますよ。しかし、どんな人間も大なり小なり持っているであろう、郷土愛とか血統愛の延長線上にある思想と考えれば、そう荒唐無稽な論理でもないという気はしてきます。
そういう潜在的、普遍的な心理をうまくついて人心を掌握していったのが
ヒトラーやらそのほか悪名高い虐殺の指導者たちに通じる共通点のような気がするのです。
つまり、ヒトラーとナチスドイツを語るとき
単に狂人の意味不明な錯乱でかたずけるのではなく、
我々誰にでも潜在的に持っている意識が、ある極限的な条件下では
誰でも覚醒する可能性を秘めているものと考える必要があると思っていたので。
ヒトラーを意味不明な狂人と描くものより、人間的に描かれる本作のほうが映画の描き方として、私は好意的に受け止めたということです。
ただ、これ、何も知らない子供が見たら、ソ連に追い詰められて、錯乱した挙句に自殺する、かわいそうなおじちゃんたちの話になってしまう恐れはありますが。
逆に、ある程度ナチスドイツの歴史を知っている大人が観れば、
戦火に追い詰められ、どんなに悲惨な映像を見せられても、これほどまでに同情できない作品もめずらしいでしょう。
極めつけは、ゲッペルスの妻が子供たちを毒殺していくシーンです。
本来なら、悲しい辛いシーンのはずなのに、白々とした心で見つめるしかありませんでした。
強者だけが正義で弱者は悪。
というヒトラーやゲッペルスの理論では子供は死んで当然の悪なんでしょう。
そして自分たちも自殺。
それで感傷的に完結されちゃあたまりませんぜ!と。
お前たちのせいで何万人死んでると思ってるんだよ!と。
人間的に描かれれば描かれるほどに寒々とした感情が湧いてくるだけでした。


ヒトラー、ゲッペルスが死んだ後も戦闘は終わりません。
指揮系統が崩壊した中での、幕引きの難しさを痛感します。
死が常態化するカオスの中で死を恐れなくなっていく経過が見事に描かれています。
死を恐れないことは人を殺すことも恐れないということです。
それは命そのものを軽んじているということです。
恐怖政治も意味を成しません。
本作の中でも、ヒトラーとゲッペルスは何度も吠えます。
国民を殺して何が悪い!弱いものが死ぬのは当然だ!
側近たちはなにも言いません。それは洗脳されているからでしょうか?
では我々は、なにか言い返す言葉を持っているでしょうか。
例えば
我々は生きるために、牛を殺し、豚を殺し、鶏を殺し、魚を殺します。
そのことに異を唱える者は少ないでしょう。
しかし人間を殺すとなると途端に大騒ぎします。
人間だけがなぜ特別なのか?
「牛さんは殺してもしょうがないのに、人間は何で殺しちゃダメなの?」
と、子供に問われたら、あなたは何と答えるでしょうか。
私はその理論的な答えを持っていません。
その答えを持たない限り、隣にヒトラー的な人間が現れた時、
私も反論できないでしょう。
我々の中にもヒトラー、ナチスと同じ精神構造が潜在意識の奥深くに眠っている。
そう自覚することが大事なのではないだろうか。
自覚して、理性をもって制していかなければならない。
人間がほかの動物とは違う特別な存在であるとするなら
それは理性を持っていることではないだろうか。
そんなことを思ったのでした。


例によってエンドロールでユンゲ本人の肉声が流れます。
「自分がそのようなことにかかわっていたとは知りませんでした。知らなかったのだから仕方がないと思っていました。しかし、それは間違いでした。もっとしっかり目を開いていれば気が付けたはずです。若さは無知の言い訳にはならないのです」
一字一句正確ではありませんが、このようなことを述べます。

そこから感じたのは、近いから見えにくいということはあるだろうなあ。
まさかそんなことがとどこかで事態をいい方向に考えようとする傾向は私の中にもあるなあ。と。


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