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映画レビュー「コロンバス」

制作 2017年 米
監督 コゴナダ
出演 ジョン・チョウ
   ヘイリー・ルー・リチャードソン

あらすじ
韓国系アメリカ人のジンは、講演ツアー中に倒れた高名な建築学者の父を見舞うため、モダニズム建築の街として知られるコロンバスを訪れる。父の回復を待ちこの街に滞在することになったジンは、地元の図書館で働く建築に詳しい女性ケイシーに出会う。父親との確執から建築に対しても複雑な思いを抱えるジンはコロンバスに留まることを嫌がり、一方でケイシーは薬物依存症の母親の看病を理由にコロンバスに留まり続ける。どこまでも対称的な二人の運命がこの街で交錯し、たがいの共通項である建築を巡り、語ることで、それぞれの新しい人生に向かって歩き出す…。(アマゾン商品紹介より)

—――ブレッソン、ヒッチコック、小津安二郎についてのドキュメンタリーを撮り、小津映画にかかせない脚本家・野田高梧の名前にちなんでコゴナダと名乗る韓国系アメリカ人の長編映画監督デビュー作―――

序盤から確かに、いわれてみれば小津っぽい、広角レンズの固定カメラ、計算しつくされた構図のなかに、コロンバスのモダニズム建築と主人公たちの静謐な佇まいが描かれていく。
説明的なセリフもナレーションもなく、あらすじにあるような設定やストーリーは、映画を見ている中ではほとんどわからない。
確かに映像は美しいっちゃ美しいけど、なんか気取ってるというか、肩に力入ってる感じ、
フランス映画とかによくみられる芸術性重視の作風はどうも好きじゃない。
しかし本作は、そこにコテコテの青春ストーリーをはめ込んだところが新しく、僕的には引き込まれた。

特にケイシーを演じたヘイリー・ルー・リチャードソンがいい。
「スイート17モンスター」の主人公の親友役をやってた娘ということだけど、記憶にないなぁ~。
キャラクターとしてはそっくりあの映画から出てきたような雰囲気の、建築オタクバージョン。あれは高校生だったのに対して本作は大学生ぐらい?ちょっと大人になったこじらせガールという風情だ。煙草をすぱすぱ吸って、愛車は80年代式ぐらいのポンコツホンダシビック。家はあまり裕福ではなさそうでお母さんと二人暮らし。今どきのおしゃれ女子とはかけ離れたタイプ。たまにおしゃべりする図書館の司書の青年は彼氏なのか、先輩なのか、友達なのか、よくわからない。会話は観念的な言葉遊びをしているようで、関係性も、感情も見えてこない。しかし、暗さはみじんもなく、よく笑顔を見せいていてかわいい。
なんだか不思議な魅力に引き付けられるんだよな~。
きっと同じ年頃のころにこんな娘が近くにいたら惚れてまう、僕の好みのタイプだ。

対して韓国系アメリカ人の中年男ジンは初対面のケイシーから煙草をもらっておきながら、親について聞かれると明らかに不機嫌な態度を示す。遠慮なくストレートにズケズケものを言うタイプだ。幼いころに親にかまってもらえなかったことを根に持って恨んでいるらしい。いいとしこいて何をいじけたこと言っとるんじゃい!
と僕は思ってしまうが・・
そんなジンのストレートなものいいが、核心をはぐらかすように生きていたケイシーの心の底の熱情と寂寥を呼び覚ます。と、そんなテイストで話は進行していく。
余計な登場人物が出てこないのもいい。ケイシーとジンと建築と建築にまつわる会話。
たまに図書館の青年とお母さん。

特によかったのは、友達にディスコに誘われたといいながら、ジンと夜の学校に行くシーン。映画見てるだけではさっぱりどこだかわからない。
夜のどこかの場所、車のライトの前で、頭をガンガンヘッドバンキングしながら変なダンスを踊っているケイシー。カーステレオの、サイケでパンクな爆音にノって。
車の中でタバコ吸って黙ってみているジン。
そんな会話もないシーンに、ケイシーの行き場のない思いが痛いほどに伝わってきて、
なんだか泣けてしまった。
翌朝、ジンとケイシーが同じ部屋で目覚めるシーンがあるんだけど・・・
え?できちゃったの?何もなかった?
それもよくわからないんだけど・・まあ、そこはどうでもいいか。

さてラストに何を思うか(ネタバレあり)が大きな本作の見どころだろう。

冒頭に書いた通りコテコテの青春もののラストだけど。
家族(母親)と離れ、夢と希望に向かって旅立ってゆくことをさわやかに肯定するような。
素直にハッピーエンドと思ってもよいが、僕はつい考えてしまう。
その旅立ちが必ずしも希望に満ちているとは限らない。むしろ逆であることのほうが多いかもしれない。母親のもとに残り夢を諦める。というもともとの選択をしても、それはそれでいいのではないか・・などと。
小津オマージュが入ってるとするなら、親子だろうと人間は所詮1人だということを、不条理を、諦観まじりに描いているともとれるけど・・・
どんな人生を歩もうとも、その時その時の全霊をかけて自分自身の責任で決断する選択が
尊いのだと思う。そんなことを感じた。
ケイシーとお母さんのその後の人生に幸あれ!
と映画の登場人物ながらついついエールを送りたくなってしまった。

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