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向上心と他力本願の狭間で・・五木寛之「親鸞」読書感想

初版 2017年 講談社文庫
青春篇上下巻 激動篇上下巻 完結篇上下巻全6巻

力強い作品だった。
まともに向き合えば、一生かけても答えの見つからない
まさに禅問答のような堂々巡りの底なしの海に、何度も引きずり込まれそうになった。
引きずり込まれそうになっては、みずからあえて距離をとって、掴まれた手を振りほどき
海面を目指して浮上しようともがく。
そんな作業の繰り返しだった。
正直、ちょっと疲れた。
それだけ、力強い作品だった。
結局、一番強く心に残っているのは
青春篇上巻冒頭、幼少期の親鸞(忠範)が出家して仏門に入る際、河原で知り合ったツブテの弥七に、石ころと共に送られた言葉

───もし、運よく物事がはこんで、自分がなにか偉い者ででもあるかのように驕りたかぶった気持ちになったときは、この石を見て思い出すことだ。自分は割れた瓦、河原の小石、つぶてのごとき者たちの一人にすぎないではないか、と。そしてまた、苦労がつづいて自分はひとりぼっちだと感じたときは、この河原の小石のようにたくさんの仲間が世間に生きていることを考えてほしい、と。弥七はそのように申して、これを忠範さまに渡すようにと頼んで消えました。そうそう、もう一つ。なにか本当に困ったときには、どこかにいる名もなき者たちにこの小石を見せて、弥七の友達だといえばいい、と────

五木さんの作品には全体的に〝驕りたかぶり〞を戒める気配がある。
人は質素に、つつましくあるべきだという、その考え方は、少なからず僕の人生観に影響を与えた。
日本のサラリーマン社会に生きていると、
『目標を立ててそれを達成すべし』
『昨日より今日、今日より明日、と日々少しでも成長すべし』
と、口酸っぱく言われ続け、僕もそのように生きた。
前を向いて前進し続けなければ、そういう努力をしない者は人間にあらずという扱いを受け、いつしか、自分もそう思うようになる。
指示待ち若手社員を「あいつらの世代はつかえない」などと思ったり、
実際口にしたり。
しかし、向上心を持つということは「驕りたかぶり」「傲慢」につながるのではないか。
では、この書にもある『他力本願』とはなにか
つつましく、欲も、エゴも持たず、ただ時の流れに身をゆだねていればいいのか
なにかを自ら望み、努力し、叶えようとすることはいけないことなのか。
それも違う気がするし・・
どうすればいいんだ・・・そんな堂々巡り。

もっとたくさん・・・書き出したら果てしない長文になりそうなので、
今回はこれ以上語りません。
そんな堂々巡って、冒頭のあの弥七の言葉に戻るわけです。

全6巻と、長いですが、ストーリー的にはエンタメ色強く、
ドラマチックな展開でテンポもよく、意外に読みやすいです。
その裏には単なるエンタメ娯楽作品ではない底知れない奥深さもあって・・
良くも悪くも、人生観を揺るがされるような読書体験となるでしょう。

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