合コンで「趣味は瞑想です。」と言い切る男がモテる世界を誰か知りませんか。
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人間という生き物は千差万別色とりどりの欲望を持っている。
中でも、三大欲求というのは凄まじく強い欲望だが強い故に対処の仕方も簡単っちゃ簡単だ。
強い欲望の対処法がすこぶる難しいなんてことがあれば、人間は自分の抱える欲望の大きさに殺されてしまう。
例えば成人男性の場合は、食欲は口の中に賞味期限内のものを放り込めばいいいし、睡眠欲は目を閉じて体を地面に預ければ良いし、性欲は利き手があれば事足りる。
だがそう単純な行為では満たされない何かがあるし、その満たされない何か=不快を快に変えるための人間の行動力というのは半端じゃない。
特に20代男子にとって恋人がいないというのは死活問題なのだ。
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◯悲劇の始まり
「ちょっとさ、誰かいい人がいたら紹介して欲しいんだけど!」
と友だちに言われたことのある人は結構いるんじゃないか。
ここ数ヶ月でそれを立て続けに言われるということがぼくの身には起き、「まぁ、なんか聞いとくよー。」と安請け合いしたことが悲劇の始まりだった。
安請け合いというのは、消耗と負担と面倒を足して3で割ると姿を現す言葉であり、自分に余裕がない時は決してしてはならない危険な行為だ。
どのくらい危険かというと、飲み会で周りに囃し立てられ酔っ払った勢いでちょっと気になっている人に長文のLINEを送っちゃうくらい危険だ。
「結構本気でお願い。本当にいい人いたら紹介して欲しいんだけどm(__)m紹介してくれたら何かお礼するから。」
その場のノリで安請け合いしたけど、まぁ本気にはしてないだろうと思ったら後日1人からこんなLINEが来た。
彼はとっても本気だった。ぼくもマジかよと思った。
独立と引っ越ししたてで忙しいし金銭的にも時間的にも精神的にも余裕はないが、友だちにここまで言われたら頼まれてあげようかと思うのが人情というものだ。
◯合コンの幹事になったぼく
紹介を頼んできたお友だちはそれぞれ別のコミニティで、互いのつながりもなく、頼まれた時期もズレていたが皆なんとなく雰囲気が似ているところがあり、モテない、恋人ができないという悩みを彼らは共通して抱えていた。
LINEで駄目押しのプッシュをくれた友だちも高学歴で頭も良く背も高くいい会社に勤めていて性格もとても良いいという一見かなりのハイスペック男子だ。
どちらかというといじられキャラで親しみやすいという、友だちとしては本当に素敵な人である。サシ飲みも苦に感じることなくできる大事な友人だ。
だけど何というか、色気がないとでも言えようか。
友だち以上には見れない的な女性の手厳しい言葉を向けられやすいタイプかもしれないなというのは、なんとなく感じていたことだった。
以後、彼を仮にとむくんとする。
なので、そういう部分もまるっと楽しんでくれそうなシャキシャキしたタイプの女友達に「頼む!友だちが困ってるから。一回だけでも会ってくれないか!何卒!」と頼み込みセッティングに漕ぎ着けた。
自分で言うのもなんだが、めちゃくちゃ良い奴やと思う。
シャキシャキタイプの彼女も気を効かせてくれて「じゃあ、私の友だちも連れて行くから2対2にしよー」と言ってくれた。
そこで急に気づいたのだが、
「ん、これは合コンなんじゃないか?お、おれは合コンのセッティングをしたのか!?」
となんだか大人の階段を一段上がったような感覚に囚われた。
この瞬間ぼくは"とっても気の利くとってもいい奴"から"合コンの幹事"というステータスを手に入れたのだ。
このステータスが誇れるものなのかどうか、ぼくにはまだ分からない。
そうして、ぼくのぼくによるモテない友だち(とむくん)のための会は開かれた。
「自分が話すより女性の話を聞けというのは猿でもわかるモテテクだ」と昔読んだファッション雑誌の後ろの方のページに書いてあった。
今回の会でも我々男子はそれを忠実に実践し、女性陣の仕事のお悩みや過去に付き合った男との恋愛事情などをふむふむと聞いてきた。
女性というのはほとんどの場合、元恋人のことを良くは言わないらしい。
とむくんはリアクションがとても上手で、本当に興味があるのかないのか真意までは汲み取ることはできなかったが純粋にその場を楽しんでいるように見えた。
そして突然、
「二人は何か趣味とかあるの?」と女性陣に聞かれたことを機に攻守交代になった。
とても難しい質問だと思った。単純な質問ほど難しい。
趣味とは、人間が自由時間に、好んで習慣的に繰り返しおこなう行為、事柄やその対象のこと。
wikipediaにはそう書いてある。
そもそも本当にぼくら2人の趣味なんかに興味があるのかと思い、せめて面白い切り返しをしなきゃと謎の使命感に襲われた。
好んで習慣的に繰り返しおこなう行為を普段自分は何をしているだろうと考えてみると、自分という人間が良く分かるし、生き方のセンスが問われている気がしてぼくは自問と自答と自フィードバックを繰り返した。
「読書か映画」
→お見合いか。
「半身浴」
→女子か。却下。
「インスタで猫の動画を見る」
→あざとい。これで万が一とむくんより好感度が上がるなんてことがあったらまずい。
とかを3秒くらい繰り返した結果がぼくの趣味は瞑想だという結論に至った。
「結構、瞑想はなんというか趣味というか、はい、、好きですね。はい。。。」
とモゾモゾしながら答えると目の前の女性陣は若干困ったような顔をした。
元々友だちだった女の子の方に「その話はちょっとやめときな。」と苦笑いをしながら言われてしまうという失態を犯してしもーた。
◯明かして光を当てたら、それはタブーじゃなくなるんじゃないかい
"問い続ける力"という本がある。
Amazonレビューの数を見る限りあまり売れてなさそうだが名著だ。
良きモノが必ずしも多くの人の手に渡るものではないらしい。
作者である石川義樹さんは作中で、"自分を語る"というテーマでこんな言及をしている。
「性と宗教、政治には共通点があると思うんです。どれも自分のことを人に話さない。たとえば、自分がどういう政治的な思想を持っているのか、どういう性的な嗜好を持っているのかを、なかなか人には言わないですよね。とりわけ、日本ではその傾向が強いように感じます。」
なるほど、確かに瞑想というものもある種の宗教性を帯びているかもしれない。
無宗教を謳う人が非常に多い日本では、宗教=怪しいというイメージが根強くある。
故に、瞑想=怪しいという方程式が成り立つのも無理はない。
しかし、"怪しい"というイメージのものには絶対に踏み込まないという人は豊かな知性を育んでいると言えるのだろうか・
自分なりに咀嚼し偏見を取り除いた上で解釈をつけることを知性と呼ぶのではなかろうか。
何を隠そう、ぼくは筋金入りの瞑想っ子である。
どのくらい筋金入りかと言うと、たまたま参加したワークショップにマインドフルネス瞑想の時間があったりすると、
「あ、今日は体全体の知覚じゃなくて呼吸を知覚する方の瞑想か。朝やったけど今日の合計瞑想時間が増えるからいいや。ラッキー。」と思うくらいには筋が金金に入っている。
たとえば、飲み会で目の前の女の子がハキハキと
「私の趣味は瞑想だよ!」
と言い出したら即座に連絡先を聞くと思う。
もしも、彼女から
「瞑想してたから返信遅れた。ごめんね。」
とLINEが来たらとても誇らしい気持ちになるにちがいない。
それくらい、ぼくの価値観の真ん中に瞑想はあるのでそれを塩対応されるのはちょっと悲しい。
他者と相対する時、ぼくらは互いに自分の中にある何かを明かし合うことで関係性が構築される。
そこで何をどこまで明かすか明かさないかを決めて、コミニケーションを取っていくことで未来の関係性の密度が変わっていく。
もしも深いつながりを作りたいのであれば、タブーや闇と言われるものを明かし合うことが必要不可欠ではなかろうかというのがぼくが最近思っていることだ。
傷ついた経験がある一定の線を越えると、人はその痛みを繰り返さないための行動が自然と身につく。
尊重という言葉を使い、相手を慮ってるフリをしながら上手に距離を取ったり。
他人は他人と割り切ることで、無関心を正当化したり。
自責と自己憐憫を履き違えて、自らの行いを省みなくなったり。
その線引きがより孤独を深めることに繋がっていたりもするんじゃなかろうか。
◯世知辛い世の中を生き抜くんだ
そんなこんな自らに問いを投げ続けるという
かっこよく言えば内省、普通に言えば現実逃避をしていると気づいたらお開きの時間になった。
とむくんは「こっちが出すからいいよー。」とさすがの男前っぷりを発揮し、女性陣も「えー!いやいや。悪いよ!」とかは一言も言わず、出しかけた財布を光の速さで引っ込め「ありがとー!」と言っていた。
ぼくも習って「ありがとー!」と言っといた。
=帰り道=
男2人で反省会をしようということになり、ラーメン屋さんに入った。
流石に全額を出すのもキツかったろうと思い、ラーメンをご馳走してとむくんの話を聞いた。
「なんだか凄くいいなと思ったよ。ハキハキしてる感じが◯#%×・・・」とかなんとか言っており、片方の女性にとても好意的な印象を持っていたようなので、彼女のLINEを教え、次回2人が会う焼肉屋さんの店選びまで提案してあげた。
「あー、いい仕事した。いい奴やな俺。」とほろ酔い気分で自画自賛しながら帰路についているととむくんからLINEがきた。
「ごめん!忘れてたんだけど、今度今日の会の費用半分ちょうだい!」
ラーメン奢らなきゃ良かった。
この御恩は100万回生まれ変わっても忘れません。たぶん。