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小川和久『フテンマ戦記』を読む③沖縄について思うこと

本書を読む契機になったのは沖縄返還50年であり、沖縄について考えたことも、触れておきたいと思います。返還50年で普天間移設問題が論じられると思いましたが、メディアが何か固定化されたお決まりの論じ方しか印象に残らず、残念に思いました。

(1)基地偏在と「負い目」

「沖縄に対する責任」で戦中に地上戦が行われたことに対する「負い目」で多く語られます。本書でも、また本書以外でも随所に政治家の口から語られています。それは人気取りでもなく、本心から出ているように思う。改めて本書でのリアルな口ぶりからもそう感じました。

動機として、それは当然であり、私も、そう思えない者はこの国の政治家たる資格は無いと断定したいところです。ただ、政治は結果責任で、その動機は結果の評価を覆しません。問題なのは普天間返還が結果として空回り・迷走している点であることは、再度強調しておきたいと思います。

一方で、私が感じたのはむしろ「戦後の返還までの経緯」だ。基地の偏在については当然地政学的な要因が大きく、これを理解しないメディアには猛省を求めたいのですが、これだけではない側面があると思います。

本土での基地返還運動の高まりが沖縄返還前にあったことが、沖縄への基地の偏在を招いてはいないかと言うことです。言い換えれば「本土で反対されたので、やむなく沖縄に行っただけ」の状態にしてないだろうでしょうか。

私の地元である岐阜にも、各務原市に岐阜基地があります。戦前は陸軍の飛行場として始まりましたが、敗戦により米軍が進駐しました。昭和32年に米軍から基地の一部返還があり、昭和33年には全面返還されました。

この時の米軍の所業については、地元の方々の言らざる問題もあり、私も過去のこととして時折耳にすることもありました。

しかし、今、その状態に沖縄があることを、われわれ本土の人間は理解しようとしてないのか、どこか他人事感がないでしょうか。それでいいのか、本書を読んだ方にも考えていただきたいところです。

(2)ロシアのウクライナ侵攻から気づかされた沖縄返還の視点

今年が返還50年だったことで、当時の交渉経緯の振り返りが多かった。

私が残念だったのは「原点」が忘れられてる点です。戦争で失った領土は、戦争でしか取り戻せません。平和裏に領土返還が行われたのは世界史の奇跡であり、代償が無いはずもなく、それこそが、米軍基地の存続でした。だからこそノーベル平和賞なのです。これが原点ではないのかと言う点です。

このことに触れた新聞の社説は産経だけでした。

外国の統治下にあった同胞と国土が、一発の弾丸も撃たずに戻ってきた。その意義深さは、ロシアによるウクライナ侵略と重ねてみれば分かるだろう。

今年は、ロシアによるウクライナ侵攻があり、現在も続いています。私も多少ロシアに縁があり、ロシア人の友達もできました。様々なことを議論する機会に恵まれた。

筆者に対して初めて率直に米軍基地の存在について単刀直入に疑問を突き付けてきたロシア人の友達のことが忘れられません。

なぜ日本に米軍基地があるのですか?

私も、当時たまたま小川氏の『在日米軍』等を読んでいたこともあって、これをもとに説明し、論じた記憶があり、懐かしい思い出です。

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本書でも小川氏が岡本氏とのやりとりで「この本」を書いた自負を述べる場面があります。記して感謝としたいと思います。

普天間の問題から、ロシアのウクライナ侵攻、そしてかつての友の因縁めいた話を思いだし、随想風に書いてみました。


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