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小川和久『フテンマ戦記』を読む ②普天間問題から浮彫になる問題点

一方でこの普天間移設問題から浮彫になる日本全体の問題があります。本書の主題の普天間移設問題から展開し、問題になる背景や温床に目を向けてみたいと思います。

(1)「民主主義の機能不全」

この点については、小川氏の別の著作や論考でも何回も出てきますが、政策の検討検証がほとんどできていません。

中でも私は重大だと感じるのは普天間問題について検討できる野党も存在しないことです。左派政党からすると、とにかく米軍基地の存在否定で、県内移転そのもの否認と、旧民主党系にあっては鳩の大醜態を晒した後だけに沖縄について恥ずかしくてコメントもできないのだと思います。その後民主党系は沖縄で候補者擁立も実際難しくなっています。

安全保障問題がイデオロギーの問題にされてしまい、具体的な議論やコスパの検討ができないままで来ました。そして、野党が全面否定のなかで、防衛政策自体も検証を免れてきました

これらの点は小川氏の従来の著作でも繰り返し指摘されてきたことです。結果的に小川氏の年来の主張がマグマのように、普天間移設問題で不幸な形で、しかも集大成のように大噴火した形になってしまっています。

似たような側面が、エネルギー(原電)政策にもあります。左右のイデオロギー対立構図で固定化され、具体的な政策論が展開できていません。これが決定過程の不透明性の温床になっているが、この点の類似も決して偶然ではないのではないかと思います。

(2)官僚が軍事知識を欠いたまま米国と交渉をしている

本書でも繰り返し指摘されているのが、この点で、非常に同感です。ただ、その背景となる面から同情の余地もあります。日本では一般の大学で軍事を学問対象として講ぜられることもありません(なお、現在は是正されつつあり小川氏自身も静岡県立大学の職にあります)。国際政治を学ぶのに軍事学の授業すらな無い歪んだ知的環境が続いた悪弊の結果です。

問題なのは、官僚が軍事に無知であることに無自覚であり、軍事専門家に耳を傾ける謙虚さすらないことは強く批判されるべきと言う点です。もちろん、外務省内にも軍事知識を学んだ方もいる(だろう)が、ほぼ個人の関心や力量、努力によるもので、例外的な存在と思ったほうがいいと思います(さすがに一般社会での「変人」扱いまではないと信じたいが)。

本書で岡本行夫氏も軍事知識の欠如を強く批判されていますが、仮に弁護するなら、この世代だと「日米安保の是非」のレベルで止まってしまったのかと想像します。ちなみに私は海外でのセミナーで同席した旧知の外務省の方に「Divisionってナニ?」と聞かれたこともあります。

一方で、日本の識者で「安全保障」を米国の大学での留学から学んだ方が多いこともあってか、核戦略や安保戦略については意外に充実しています。この点自体否定的には捉えませんが、反面、足元となる「軍事」の側面が比較して後れを取っています。

言い換えると大学の国際政治の授業などで通常戦力に関する議論をすっ飛ばしていきなり米国における核戦略の話が飛び出てくることに私は従来から強い違和感を抱いてきました。

蛇足ながら、同じく官僚が専門知識を欠いているのは、近年特にITや情報セキュリティの分野です。デジタル庁の迷走が報じられることもあるが、評者には類似の側面を想起せずにはいられませんでした。デジタル庁関連で似たような『なぜ迷走するか』本がいずれ出ると予想しています。

(3)政策決定過程での不透明さ

結局、辺野古の現状案を誰が発案して誰が決めたのか、政策の決定過程が非常に不透明です。担当者がその都度その都度変わっており、本書でも総理/外相/防相の名前も書いているがこの問題で入れ代わり立ち代わり、誰が何の決定をしたのが、結局よくわかりませんでした。

本書も「なぜ迷走するのか」としていますが、結局どういう経緯でV字だのメガフロートなどが浮上してきたのか、結局本書を読んでもここは正直分からなかったです。この不透明さが実は本書のメインテーマなのだが、ここを分かりにくいと感じても、それは小川氏の責任ではなく、実態そのものが不明だからです。

ここで、小川氏は汚職の可能性を指摘していますが、汚職と言うと個人の悪行(悪代官)を想起してしまいますが、重要なのは「個人プレー」(個人の人格問題)ではない点で組織的かつ、構造的かつ長期的な利権という点です。しかも、安全保障の観点から、秘密にできる大義を悪用していたとすれば、問題の深刻さはより大きいと思います。

(4)「外圧の利用」

1990年代の貿易摩擦の際にも指摘されたことですが「外圧」の利用です。日本の一部から、「米国がこう指摘してます」という話が出て、それでアタフタと対応し、よくよく検討してみるとそうではなさそうだ、と言うのはよくありました。米国に働きかけるような動きがあったことを小川氏は指摘しているが、私も、この点は全く想定してなかっただけに、愕然とした。

この点は政治外交史で、なぜ外交交渉でパターンが来る返されるのかを、より詳細検証を希望したい点です。

(5)米国のGAOの指摘

本書で改めて驚かされるのが、米国のGAOから「辺野古使い物にならない」評価が下されていることです。

評者も2000年前後に報道に接したときは、詳細をあまり把握していませんでした。このため「基地の抗湛性の面で問題あっても、メガフロート案で米軍をよく説得したものだ」と全く正反対のトンチンカンな感心をしていました。私も阿呆だった。本書から読むと全く笑えない現実だったことがより明確になりました。

米国のGAOについては2000年代に日本でも関心が集まったように記憶しています。当時、政権交代が現実味を帯びる中で、無駄遣いの検証の機関の必要性が論じられていたように思います。これも、民主党政権の瓦解によって、「日本版GAO構想」までが嘲笑の対象に堕してしまったことについては旧民主党関係者は猛省が必要でしょう。

(おわりに)2020年春に本書が刊行され1か月ほどして、批判の対象にあがった岡本行夫氏がコロナで亡くなられています。記して冥福を祈るとともに、普天間移設問題での、著書の批判に対する反論や検証の機会が永遠に失われたことが悔やまれてなりません。

③にづづく


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