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安倍総理を追悼する③ 国会所信表明演説で語られた「明治」

国会の演説を読む人は多いとは言えません。

しかし、演説のフルテキストを読むと、安倍総理の歴史ネタが出てきて、その歴史観の一端を垣間見ることができると思います。

簡単に言えば、明治維新への高い評価であり、明治の偉大さが幾度となく繰り返されています。

当然と言えば当然で、安倍総理は長州。麻生副総理は薩摩(大久保利通の子孫)という感覚もあってか、このような歴史観が出てくるのだと思います。

演説の中では、明治を「原点」と捉える保守の考え方が明確にされており、筆者も同意見です。

第183回国会 衆議院 本会議 第8号 平成25年2月28日苦楽をともにするにしかざるなり。
 一身の独立を唱えた福沢諭吉も、自立した個人を基礎としつつ、国民も、国家も、苦楽をともにすべきだと述べています。
 共助や公助の精神は、単にかわいそうな人を救うということではありません。懸命に生きる人同士が、苦楽をともにする仲間だからこそ、何かあれば助け合う、そのような精神であると考えます。

第185回国会 衆議院 本会議 第1号 平成25年10月15日
心志あれば必ず便宜あり。
 意志さえあれば、必ずや道は開ける。中村正直は、明治四年の著書「西国立志編」の中で、英国人スマイルズの言葉をこのように訳しました。
 欧米列強が迫る焦燥感の中で、あらゆる課題に同時並行で取り組まなければならなかった明治日本。現代の私たちも、経済再生と財政再建、そして社会保障改革、これらを同時に達成しなければなりません。

第186回国会 衆議院 本会議 第1号 平成26年1月24日
 アフリカの人々のため、八十七年前、アフリカに渡った一人の日本人がいました。野口英世博士です。
 志を得ざれば再びこの地を踏まず。ふるさと福島から世界に羽ばたき、黄熱病研究のため、周囲の反対を押し切ってガーナに渡り、そして、その地で黄熱病により殉職。人生の最期の瞬間まで医学に対する熱い初心を貫きました。

第187回国会 衆議院 本会議 第1号 平成26年9月29日
天は、なぜ自分を、すり鉢のような谷間に生まれさせたのだ。
 三河の稲橋村に生まれた明治時代の農業指導者、古橋源六郎暉皃は、貧しい村に生まれた境遇をこう嘆いていたといいます。しかし、あるとき、峠の上から周囲の山々や平野を見渡しながら、一つの確信に至りました。
 天は、水郷には魚や塩、平野には穀物や野菜、山村にはたくさんの樹木をそれぞれ与えているのだ。
 そう確信した彼は、植林、養蚕、茶の栽培など、土地に合った産業を新たに興し、稲橋村を豊かな村へと発展させることに成功しました。

第189回国会 衆議院 本会議 第5号 平成27年2月12日
明治国家の礎を築いた岩倉具視は、近代化が進んだ欧米列強の姿を目の当たりにした後、このように述べています。日本は小さい国かもしれないが、国民みんなが心を一つにして、国力を盛んにするならば、世界で活躍する国になることも決して困難ではない
 明治の日本人にできて、今の日本人にできないわけはありません。今こそ、国民とともに、この道を前に向かって再び歩み出すときです。皆さん、戦後以来の大改革に、力強く踏み出そうではありませんか

第190回国会 衆議院 本会議 第6号 平成28年1月22日
開国か、攘夷か。
 百五十年前の日本は、その方針すら決められませんでした。終わらない議論、曖昧な結論、そして責任の回避。滅び行く徳川幕府を見て、小栗上野介はこう嘆きました。
  一言以て 国を亡ぼすべきもの ありや、
  どうかなろう と云う一言、これなり
  幕府が滅亡したるは この一言なり

第196回国会 衆議院 本会議 第1号 平成30年1月22日
百五十年前、明治という時代が始まったその瞬間を、山川健次郎は、政府軍と戦う白虎隊の一員として迎えました。
 しかし、明治政府は、国の未来のために、彼の能力を活かし、活躍のチャンスを開きました
 「国の力は、人に在り。」
 東京帝国大学の総長に登用された山川は、学生寮をつくるなど、貧しい家庭の若者たちに学問の道を開くことに力を入れました。女性の教育も重視し、日本人初の女性博士の誕生を後押ししました。

第198回国会 衆議院 本会議 第1号 平成31年1月28日
「しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける」
 明治、大正、昭和、平成。日本人は幾度となく大きな困難に直面した。しかし、そのたびに、大きな底力を発揮し、人々が助け合い、力を合わせることで乗り越えてきました。(注:和歌は明治天皇の御製)

第200回国会 衆議院 本会議 第1号 令和元年10月4日臨時国会所信表明
百年前、米国のアフロ・アメリカン紙は、パリ講和会議における日本の提案について、こう記しました。
 一千万人もの戦死者を出した悲惨な戦争を経て、どういう世界を創っていくのか。新しい時代に向けた理想、未来を見据えた新しい原則として、日本は人種平等を掲げました
 世界中に欧米の植民地が広がっていた当時、日本の提案は、各国の強い反対にさらされました。しかし、決して怯むことはなかった。各国の代表団を前に、日本全権代表の牧野伸顕は、毅然として、こう述べました。
 「困難な現状にあることは認識しているが、決して乗り越えられないものではない。」
 日本が掲げた大いなる理想は、世紀を超えて、今、国際人権規約をはじめ国際社会の基本原則となっています

(注:牧野伸顕は麻生副総理の曽祖父)

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