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岡崎から視る「どうする家康」#14NHK「徳川JAPANサミット2023」の感想戦

「どうする家康」の番組宣伝の一環としてNHKBSで「徳川JAPANサミット2023」が元旦に放送されました。「徳川の平和」が250年続いたのはなぜか?という問いに研究者が答える企画です。

視聴してみましたが、MCの「爆笑問題」が無理なリードや笑いに持ち込まず、比較的よい教養番組と感じました。タレントが無茶を言ったりのクイズ企画が多い中で、この点で企画制作には敬意を表したいと思います。

私としては、番組内での発言だけで云々するのもどうか、と言う点と内容については先生方の著作をぜひ読んで欲しい(終わりに読書案内付けました)ことから個別の議論内容はできる限り深入りしない形で感想などを勝手気まま・脱線気味に書いてみたいと思います。

江戸時代の難しさ「二つの多様性、二つの否定、二つのタブー、二つのハードル」

視聴してみて、改めて思ったのが「江戸時代の難しさ」です。この背景説明が今回のメインテーマです。

江戸時代がなぜ難しいのか、を私は「二つの多様性」「二つの否定」「二つのタブー」「二つのハードル」という切り口で整理して考えてみました。

「時間としての多様性」

時間軸として、開幕1603年から明治1868年まで250年は普通に長いです。250年を通じて「江戸時代は○○○」という議論や発想自体に、そもそも無理があるのは当然です。制度の大枠が継続していても、緩やかに変化はあります。さらに「緩やかな変化」をどう定義するかだけでも議論が分かれます

また当初の制度の意図が時間の経過とともに独り歩きして利権化も多いです。例えば東海道の河川にかかる橋の禁止も当初は軍事目的や技術的難度だったのが、河川の両端の宿場町の経済権益・利権になり、制度が維持される例もあります。これは現代政治で規制緩和などの制度改革でも問題として見られる重要な論点だと思います。

「地域による多様性」

番組の中で熊本の事例で議論が展開されました。

熊本の事例は興味深く、敬意を表しますが、しかしこれを「江戸時代のモデル」と説明するのに無理があるのは当然です。全国には幕府領も小藩もあります。カウントにもよりますが約540。「やはり必ずしもそうとも言えない。一般化できない」で終わってしまいます。

この「およその構図やモデル」を提示しても、それに反する事例がいくらでも出るのは当然です。むしろ、反する事例が無いほうが不自然です。一方で、その「反する事例」を集めても、条件が違い過ぎて「モデル化」が難しいのもあります。「江戸時代は、おおよそ○○○」というモデルを提示したとしても、全てに「必ずしもそうとも言えない」が続出するのは当然です。これが難しい背景でもあります。

「多様」はポジティブワードか

江戸時代は多様です。言い換えるとバラバラ。「多様」と言うと流行でメディアや一般ウケよく学者も恰好がいいのでそう言いたがります。しかし電子マネー乱立で不便を感じないでしょうか。私には藩札乱発にソックリと思います。

電子マネーの種類多すぎて不便

明治維新時は244藩と代官所14旗本領9が「藩札」発行。計267種類の藩札がありました。これを「多様」として肯定的に見るのでしょうか疑問です。

藩札が多すぎます

一方、江戸時代は二つの面で否定的に見られてきました。

「明治での否定」

「江戸時代」は明治新政府からすると、前政権がダメだったことを強調する必要性があります。「前より良い」を強調するため以前を否定する必要です。明治に語られた「江戸時代」が否定的なのは、明治維新の経緯からして当然です。俗に「薩長史観」と言われます

ちなみに現代での薩長史観の「代表選手」は安倍総理と麻生さんです。演説でも明治維新を原点とする思考が強烈に出ています。

安倍麻生の「薩長政権」に対し、静岡から挑戦状を叩きつけた徳川家広さん落選。薩長とよっぽど相性悪いのでしょうか。最近19代継承されました。

「マルクスによる否定」

平たく「農民一揆」や「貧しく苦しむ農民」が大好きな歴史です。(マルクス史観はそれだけではないのですが、代表的なわかりやすい事例)

これが戦後根強く存在しました。実際、小中高の日本史の授業で江戸時代の農民一揆の話ばかり聞かされてきた方もいると思います。

最年はかなり軌道修正されていますが、実際はどうなのかは注目点です。

この二つの「否定」が今までの江戸時代の印象に大きく影響を与え、理解が難しくなった背景の一つにあると思います。ただ、今回の番組を見てみたら「マルクスの呪縛」が思ったより少ない印象を受けて私は驚きました。

ついでに。最近マルクスに関して非常に興味深い著作を読みました。しかしナント。再び19代様でございました。

さて。マルクス史観と関連しますが、二つのタブーがありました。

「天皇タブー」

戦前では天皇に関する議論がタブーでした。津田左右吉早大教授は記紀を史料批判の観点から研究したことで知られます。昭和15年に『古事記及び日本書紀の研究』はじめ4冊を発禁処分になった事件が有名です。語弊はありますが「右の天皇タブー」です。
 逆に、戦後は歴史学会が「天皇制打倒」で埋め尽くされ、それに同意宣誓しないことには学会から放逐される雰囲気だったことはもっと一般にも知られるべきと思います。「左の天皇タブー」です。

この二つのタブーから比較的自由になったのは最近です。江戸時代の天皇についての研究が昭和と平成の前後で進んでいます。藤田覚氏の優れた研究成果も平成に入ってから開花しています。

平成31年の譲位で光格天皇も注目されています。拙稿ご参照下さい。

考えてみれば、明治大正昭和平成の4代にわたり「左右の天皇タブー」に歴史学が翻弄されていました。「令和になってはじめて歴史学が天皇タブーから自由になれた」とも言えるかもしれません。「歴史学者」が天皇として即位し、歴史学が皇位継承で注目される時代です。126代と19代での歴史をめぐる対談企画があれば、日本史に残る超ビック対談になること間違いなしです。

「軍事タブー」

戦後平和主義による「軍事アレルギー」は、戦前の反動もあってかなり強いものです。前稿では日本学術会議での軍事研究に関する議論に疑問を呈しました。

理系だけでなく、実は近代史もこの勢力に翻弄されていました。北岡伸一東大教授が1978年出版の『日本陸軍と大陸政策』を執筆当時の1970年代に周囲から白い目(か赤い目なのか)で見られた思い出を語っていました。

前近代はまだ良いほうとしても、それでも軍事史に関する偏見の風潮がありました。

この風向きを変えたのが、英国の軍事史に詳しい歴史学者ジェフリー・パーカー(Noel Geoffrey Parker)。1988年に出版した本を大久保桂子國學院大學教授が平成7年に翻訳出版し話題になった軍事革命に関する一冊です。(個別内容は言いたいですが、ここでは保留します)
The Military Revolution: Military Innovation and the Rise of the West, 1500-1800, (Cambridge University Press, 1988).

先生方の軍事革命論もこの本に刺激・触発された面は多いと思います。

「莫大な史料点数ハードル」

「徳川の平和」は番組の趣旨でもありますが、その「平和の配当」として史料が莫大な量になった点を強調したいと思います。

寺子屋。ちゃんと勉強しよう。

平和により識字率も向上します。しかし、これだけでは表面的です。高い識字率で文書を書ける能力が広がり、「誰でも書けて残せるようになった」面があります。これが量自体が他国に比べて圧倒的な量になった背景です。

ある歴史学者が「フランス革命当時(17世紀)の史料点数と日本の奈良時代(8世紀)が大体同程度」と話していた記憶があります。もちろん誇張もないとも言えず、数字の根拠も分かりませんが、私はかなり近いと思います。

また、先の熊本の永青文庫の所蔵史料点数は約5万8千点。徳川林政史研究所(東京目白)7万8千点。

蓬左文庫(名古屋)は史料だけでなく出版蔵書もあわせ約12万点。

これだけでも世界的に圧倒的な量です。江戸時代全部合わせて何万点なのか、そのカウントや整理だけも大変な作業です。

韓国朝鮮屋として私が想像するに、江戸時代相当の朝鮮時代後期の史料は3万点微妙です。(上下優劣の議論ではないので念のため)

それだけに岡崎市の図書館が戦災(岡崎空襲)により家康関連の史料焼失が残念でなりません。

なお、岐阜の「美濃和紙」も多く使用されており、和紙の生産流通も日本で史料が多いことの重要な要素ですので地元のCM含め強調しておきます。

「誰でも書けた読解困難のハードル」

高い識字率で文書を書ける知識階層も広がりました。誰でも書けて残せるようになったのは良いですが、一方で誰でも書くので、誤字悪筆や筆順グチャグチャで読解困難な古文書も大量もあります。平安鎌倉は貴族僧侶の知識人だけしか書かないので、文字的には読解のハードルが逆に低いとも言えます。

崩し字勘弁して下さい

ここで「崩し字」などで史料読解が職人芸のようになり、歴史における構図等を考える以前に読解でエネルギーを消費してしまっているハードルはあります。歴史学者の言う「高い識字率」は「猫も杓子もこんな汚い字で多くの文書残しててさ~」的なボヤキ・愚痴・感動・感嘆の言い換えと考えたほうがいいかもしれません。

最近、AIで古文書解読するアプリが開発されました。古文書読解という「職人芸の手作業」の負担から解放されることで、今後の江戸時代研究が激変すると期待されます。

「タテ」(時間軸)と「ヨコ」(空間軸)からの指摘が欲しい

番組では本郷和人東大史料編纂所教授が中世史の視点から質問を投げる場面がありました。

このやりとりが、私には興味深いと感じました。なぜかというと学問の世界だと他分野間での意見交換が余りないからです。「以前より増えた」と言われるかもしれませんが、それは以前がなさすぎなだけです。

タテ(時間軸):日本で古代史・中世史・近代史との比較
ヨコ(空間軸):同時代の西欧や中国・朝鮮との比較
この視点はあってもよいのではと思います。

具体的には野球の表裏のように、以下の専門家のQAは面白そうです。
室町→江戸 / 江戸→室町
明治→江戸 / 江戸→明治 

もっとも時間制約などがありワガママなのは承知ですが。

別分野の専門家の指摘も欲しい

しばしば学問の世界は「タコツボ」と揶揄されています。専門に閉じこもってばかりいるということです。

タコツボに閉じこもっているところを一網打尽

法学政治学経済学社会学軍事学など様々な分野の専門家からの指摘があると面白かったかもしれません。特に社会学は学問界で「異種格闘技戦の常連」で非常に優れた著作も多くあります。私としては、橋爪大三郎氏や大沢真幸氏の指摘があると面白いのではと感じました。

実は「学者が隣接分野のことを意外に知らない」ことは珍しくありません。歴史学でも用語の定義で広辞苑を引っ張ってくる論考に出くわすこともあります。隣接分野のツッコミの機会があるとおもしろいかもしれません。

番組の中での「見解の相違」の扱い

番組の中でも出演者同士で見解の相違がありました。その見解の相違に対してMCの爆笑問題や本郷氏が必ずしも対立ではないという形で一生懸命解説してフォローを入れていたシーンが私は印象に残りました

見解の相違は私は当然だと思いましたが、逆にNHKなどでも「見解の相違」の場面に非常に慣れていないということかもしれません。役所や一般の会社組織でも見解相違点を明確化しようとすると必ず待ったがかかるアレです。

逆に言うとNHKがそれだけ「議論の誘導」にためらいが無いことの証拠ではないか、と私はこの場面に非常に違和感と不信感を持ちました

NHKの根底にある「愚民観」

番組のホームページには強く苦言を呈しておきたいと思います。ホームページに出演の先生方の名前がなく、視聴後に関連書籍を検索できません。視聴者の「より深く知ろう」という知的関心をNHKが軽視しており、教養番組の制作趣旨として問題がありますNHKの根底にある「愚民観」(どうせオマエラにはわからない)で掲載しなかったと思いますが、私たち視聴者が警戒するべき良い事例です。

もう一つ。教養番組は学問として文科省科研費等による研究成果を一般向けに開示した一部です。こうした観点からもNHKは再考すべきところです。

NHKオンデマンドも早々と公開期間終了です。ついでに。これに限らずニュースも検証できないまま、民放より早く消してしまいます。受信料なんだと思っているのでしょうか。

出演者の主な著作(読書関連)

なお内容的番組の内容と近かった著作を案内含め挙げたいと思います。

平川新 東北大教授

福田千鶴 九州大学教授

藤田達生 三重大学教授

野村玄 大阪大学教授

稲葉陽継 熊本大学永青文庫研究センター長

山室恭子 放送大学東京渋谷学習センター長

コンスタンチン・ヴァポリス (メリーランド州立大学教授)

ロバート・キャンベル東大名誉教授・早大特命教授


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