C-C-Bってどんなバンド?④<4人体制から解散まで>
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87年4月のEASTのライブで関口さんが脱退し、
4人体制になったC-C-B。
しかしこの重要な時期に
追い打ちをかけるような事態が起こります。
これまでの忙しさが祟り、
それほど丈夫ではない笠くんの体が悲鳴を上げました。
関口さん最後のよみうりランドEASTのライブから1週間後、
笠くんは十二指腸潰瘍で胃の半分を切除する手術をします。
お腹を20cmくらい切ったみたいですが、
その手術の数日後にシングル「2 Much, I love U.」の
レコーディングをしています。
4人体制になってからの最初のシングルは
誰が歌うかメンバーとスタッフで話し合われたようですが、
ここはやはり笠くんで行こうとなったみたいです。
という事で無理をしてまでレコーディングをしましたが、
この曲は大人しめであまり盛り上がりませんでした。
そんな状況ではありましたが、
87年の9月には武道館ライブも行われています。
(しかも2days)
まだまだ人気は衰えていなかったんだよね。
笠くんの話に戻りますが、
ライブでは心臓に管が入ったまま出ていた時もあったようですね。
その時のライブがDVDに残っていると後日語っていたので、
87年EASTか87年の武道館の時だと思われます。
アルバムについては4人体制になってから少し雰囲気が変わります。
相変わらず個々の個性がバラバラと打ち出されてはいるのですが、
5人体制の頃のアルバムがおもちゃ箱だとしたら、
4人体制のアルバムはクローゼットという感じ。
キラキラスパンコールがついた戦闘服(どんな服だ!?)があり、
銀色の未来スーツ、革ジャン、コットンのシャツ
などが収まっているような。
そして4人になってからは、
低音のパートを米川くんが担当するようになりました。
と同時に米川くんがリードボーカルを取る事が多くなっていきます。
だんだんとロックバンドという色を出して行こうとしたんですね。
シングル「原色したいね」でサビ部分だけ
リードボーカルを務めた米川くんは、
次の「抱きしめたい」でフルでリードボーカルを務めます。
曲調はバリバリのロック。
歌番組でもメインボーカルで歌う米川くんの姿が、
一般の視聴者の目にも入るようになりました。
同時にこの時期のアルバムでも男臭い歌が増えています。
アルバムの「走れ★バンドマン」では、
渡辺さんの甘めボイスは鳴りを潜めて、
シャウト声で歌っているものもいくつかあり。
男臭い方向に向かった影響で、
声とキャラがその対極にあった笠くんの存在は
だんだん薄くなっていきます。
笠くんのビジュアルと歌声が世間一般でC-C-Bと認知されていたので、
世間一般の聴衆はますますC-C-B離れを起こし、
またC-C-Bファンも「変わってしまったな・・」と
離れる人が増えました。(私含む)
ロックバンドとしてのC-C-Bに新たなファンがつけば良かったのですが、
世の中にはすでにゴリゴリのロックバンドが出ていて、
C-C-Bはそこで勝負できず埋もれていきました。
数十年経って最近この時期の
ロックテイストなC-C-Bが評価され始めていますが、
今は昔みたいにライバルと比較せずにC-C-Bを聴く事で、
既成概念・固定概念にとらわれずにその音楽性に
気づく人が増えたのかもしれません。
そして「抱きしめたい」の次のシングル「恋文」は、
C-C-Bの真骨頂とも言える明るさやポップさは全くないバラードでした。
その後「信じていれば」をリリースし、
そしてラストシングルの「Love Is Magic」で解散を迎えます。
なお、最後のアルバム「信じていれば」の収録曲は、
メンバー渾身の玄人感満載のものになっています。
もう売れる事とか考えずに、
好きなように曲を作ったって感じです。
ロックバンドでもない、
マニアックなサウンドのものが多くなっています。
通好みなラインナップゆえ、
一般ウケはしないであろう曲も中にはいくつかあります。
1989年10月9日、
活動最終日に行われたラストコンサートは武道館でした。
人気が落ちていたとは言え、その時の映像を見ると満員で、
解散を惜しむファンがそれだけいたんだなとわかります。
私はその頃はファンを離脱していましたが、
正直、武道館で解散コンサートをやったと知った時は驚きました。
あの頃のC-C-Bがそんなに人を集められるとは思っていなかったので。
解散の理由は様々な憶測が飛んでいますが、
色々なコンテンツを見聞きして推測するに、
4人体制になって方向性を見失い、
路線変更でロックバンドとしてやっていきたい渡辺さんと、
これまでのC-C-Bサウンドを残したい笠くんとでギクシャクし、
その間に立たされた田口さんが受け止めきれなくなって
田口さんが解散を切り出したという感じなのかな?
(あくまで推測です。)
ギクシャクしてこれ以上メンバーを嫌いになりたくないという思いが
あったのかもしれません。
壊滅的に仲が悪くなるよりは、離れる事を選んだのかな?
ずっと全力で走ってきて
疲れちゃったっていうものあるかもしれないけど。
個人的にはもう少し粘って、
新しい路線とこれまでの感じを上手く融合させる方向を
見つけて欲しかったなと思いますが。
(「原色したいね」はそんな方向性の曲だったと思いますけどね)
でも解散して数十年経って4人が集まった「ゴーゴーヒデキ」のライブは
各々が各々の環境の中で成長し、
メンバーみんな愛に溢れていて最高に素晴らしかったから、
解散も無駄ではなかったのかもね。
こうやって6年4ヶ月を駆け抜けたC-C-B。
短いような、意外と続いていたような、
人によって印象は違うような気がしますが。
以上、C-C-Bについてざっとではありますが、
まとめさせていただきました。
しかしもっとすごいバンドもいたと思うけど、
こうやってまとめてみるとC-C-Bは
「やっぱり侮れないゾ!」と思うのでした。
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