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おばあちゃんちが大都会の真ん中だった

東京都港区、西新橋と神谷町の間くらいに、
標高26メートル(低!)の愛宕山という
小さな山があるのをご存知でしょうか?

私の母の実家がその愛宕山の麓にありました。


愛宕山。
天然の山としては23区内で最高峰らしい。笑


おばあちゃんの家と言うと、
大体イメージするのは田舎で縁側のあるお家で
スイカやトウモロコシを食べたり〜なんて感じですが、
うちのおばあちゃんちは大都会でした。

と言ってもおばあちゃんちのあった界隈は、
戦後からこの場所で生活している人が住む下町のような一角でした。

周りはどんどん開発されて立ち退きなどがありましたが、
母の実家はなぜか立ち退きを免れていて、
5年くらい前までここにありました。

立ち退いた後、家を取り壊したらその下が武家屋敷跡だったみたいで、
しばらく発掘調査をしていました。(すげー。笑)

その愛宕山にある愛宕神社のお祭りが、
昨日6年ぶりに開催されるとのことで、久しぶりに行って来ました。

昭和50年代、子供の頃いとこたちと喜び勇んで行ったこのお祭り。

いとこは型抜きとかよくやってたな。
(私はあの遊びの意味がわからずやったことない)

私はくじ引きで当時のマンガ「なかよし」の付録を当てるのが好きで、
いつもそこを目がけていました。
なので「フォスティーヌ」(だったかな?原ちえこさんのだったとは思う)
の小物入れみたいは箱は2個持っていた。

いつぞやは私と妹といとこといつものようにわちゃわちゃしていた時に、
なぜか焼きそばのテキ屋の兄ちゃんと仲良くなり、
手伝ってくれたら焼きそばをくれると言ったので、
「いらっしゃい〜!」とお客さんを呼び込んだり、キャベツ剥いたり、
台を拭いたりしたら、本当に最後に一人ずつ焼きそばをくれました。

その時は「働くってこういうことか〜」と感動しました。笑

今思えばそのテキ屋の兄ちゃんが自腹切っておごってくれたんだと思う。
強面だったけど優しい人だったんだろうな〜。

昨日は屋台も全く無く、シンプルなお祭りになっていましたね。

こういう小さなお祭りは縮小傾向にあるのかな?

このお祭りの見所は、
「出世の階段」とも呼ばれる急勾配の石段(男坂)を、
お神輿が上り下りする所です。
(昨日は上りだけだった)


「出世の階段」(男坂)。
勾配が急なので上り下りはかなり怖い。


その昔、徳川家光がここを通りがかった時に、
家臣の曲垣平九郎というお侍が、山の上に咲いていた梅の花を取りに、
この石段を馬で駆け上がってまた降りて来て家光に献上しました。
(この階段を馬で駆け下りるって凄い!)

その褒美として曲垣平九郎を出世させた事から
「出世の階段」となりました。

ちなみに愛宕山に登るにはこの「男坂」とすぐ脇に
比較的ゆるやかな石段の「女坂」、山の裏手には坂道もあります。
今はエレベーターもあるみたい。(使った事ないけど)


過去の写真ですがこちらが「女坂」


子供の頃は男坂を登るか裏の坂道を登って上に行くかがほとんどでした。

裏の坂道の中腹にお地蔵さんがいたのですが、
神社の境内に移されていました。

虎ノ門ヒルズの開発時、整備の関係で移されたのかな?

風景はあの頃からがらっと変わってしまって寂しいです。

山の上には愛宕神社とNHKの放送博物館があります。


愛宕神社の境内


夏休みなどいとこの家に入り浸っていたのですが、
遊び場はもっぱら愛宕山でした。

特に放送博物館は入館料無料というのもあり、
毎回ここで遊んでました。

テレビ初号機(画面に「イ」という文字が浮かび上がる)の展示や、
スタジオのセットなんかもあり、
テレビカメラに向かってくだらない事やって、
モニター見ながらゲラゲラ笑ったり楽しかったな。

神社の脇には小さな茶店があり、
そこのところてんが美味しくて毎回食べていました。

春は桜を見ながら、夏は蝉の声を聞きながら、
赤い毛氈を敷いた長椅子に座って食べるのが好きでした。

そこももうなくなってたね。

その代わりに神社の逆サイドにおしゃれカフェみたいなのはできてたけど、
私的には「こうじゃないんだよな〜」と思いました。

私の実家となる当時の自分の家は、
二階の窓から野うさぎが走ってるのが見えるような所で、
首都圏ではあったけど雰囲気はかなり田舎でした。

夜は真っ暗で静か。(夏はカエルの大合唱がありましたが)

寝付きの悪かった私は夜が心細くて仕方なかった。

でもおばあちゃんちは道路に面していて、
夜も車の往来があり、カーテンの隙間から天井にヘッドライトの光が
パアッと流れたりして、それが逆に安心してすぐに眠れました。

おばあちゃんは私が小五の時に亡くなってしまったのですが、
優しい人ではあったけど、甘くない人でした。

この家とは別の家のいとこは、子供だけによく怒られて拗ねると
「俺、帰る!」とよく言っていましたが、
その度に「あぁ帰れ帰れ!」とおばあちゃんは突っぱねていました。

「甘ったれんじゃないよ」ともよく言っていたなぁ。

私も家の梅干しが普通の梅干ししかなくて、
おばあちゃんちで初めて「かつお梅」を食べた時に美味しくて感動して、
瓶の半分くらい食べてしまったら
「あんたこんなに食べるんじゃないよ!」と怒られたな。苦笑

一番仲が良かったこの家のいとこ(女)と
「あなたの知らない世界」を見ていた時も、
おばあちゃんがテレビの前で横になっていて、
その背中越しに「キャーキャー」言いながら見ていたのですが、
平然としているおばあちゃんに「怖くないの?」と聞いたら、
「生きている人間の方が怖い」と一言言ったのが印象的でした。

妹は「新橋のばあちゃんはちょっと怖かった」と言っていましたが、
私はこのクールなおばあちゃんが大好きでした。

一度買い物に出かけたついでにサマードレスを買ってもらいましたが、
薄紫で花の刺繍のモチーフが入ったそのワンピースは、お気に入りでした。

新橋駅のガード下に「京浜」というスーパーがあって、
日常の買い物はそこに行っていましたがよく付いていきました。
懐かしいな。

そしていとことの遊びですが、時々近所の子たちと交えて、
銀玉鉄砲でビルの隙間に隠れてギャングごっこをしていて、
「都会の遊びは違うな」と思いました。

うちの近所での遊びと言えば、基本ザリガニ取りだったから、
その違いにカルチャーショックでしたね。

あとは森ビルの数を数えるのが好きでした。
(近所に森ビルがたくさんあり、
ビルに書いてある番号を見つけるというどうでもよい一人遊び)

夜はおばあちゃんちにお風呂がなかったので(後に作りましたが)、
みんなで銭湯に行きました。

今ではあの辺りに銭湯があったなんて想像つかないかもしれませんが、
当時は近所の人はみんな銭湯に通っていたようです。

銭湯帰りは近くの商店でアイス買って食べたりしました。
グリコのジャイアントキャンディーが好きでしたね。

そんなシーンに思いを馳せながら新しい街を歩きました。

愛宕山の森と巨大ビルの隙間からチラ見えする東京タワー。


昭和の頃は東京タワーは今みたいな
浮き上がるようなライトアップではなく、
タワーを縁取る電球だけのライトアップでした。

昼間はそうでもなかったけど、
私は夜に浮かび上がる東京タワーがきれいでもあり、
大きな建造物がビルの合間からぬらっと見えるのがちょっと怖かった。

そしておばあちゃんちは12チャンネル(現在のテレ東)の映りが悪かった。
当時は12チャンネルは東京タワーの麓にありましたが、
近すぎて電波受信できなかったみたい。


虎ノ門ヒルズ。
昔ここがどんなだったのか全く思い出せない。


虎ノ門ヒルズも行きましたが、
全く風景が変わってしまって以前どんなだったか思い出せない。

母に聞いたら「小さいおうちがいっぱいあった」って言ってたけど。

虎ノ門ヒルズの道路挟んで隣には、
今はビル様式になってしまったけど、
お寺があって、そこでもいとことよく遊びました。

鳩がいっぱいて、鳩捕まえ競争とか、両手にパンくず持って、
腕に何羽もとまらせたりしました。

再開発も必要なのかもしれませんが、
どこも同じような面構えのビルになってしまって、
きれいだけど味がなくなった気がします。

さて、お祭りのハイライト、お神輿の階段登りの話に戻ります。

久しぶりの御渡りで慣れていない人も多かったのか、
お神輿が階段を上がるまで随分待たされましたが、
無事に怪我人もなく御渡りできました。


ここを上がっていきますよー。


「うしろ上げろー!!」など怒号が飛び交いつつ、
みんな必死でお神輿を上げていました。


お神輿の無事を見届けて、
私たち(母と妹、私の旦那)は新橋駅の方に向かいました。

この愛宕の母の実家は母が結婚した後に引越しした家で、
母が住んでいた家はもっと新橋寄りだったそうです。

途中には今は公園になっている母が通っていた小学校跡地があり
昭和30年ごろは南桜小学校という名前だったそうですが、
いとこが通っていた頃は桜小学校という名前で
ここも遊びに行ったりしました。

母が住んでいた家は、今の日比谷通り沿いにあったそうで、
大通りには路面電車が走っていたなんて言っていました。

『ALWAYS 三丁目の夕日』の世界をリアルに生きていた人であります。

中学の通学途中で東京タワーが出来上がる様を
見ていたとも言っていました。(すごい)

母は生まれは新潟で10歳の頃東京に来たようですが、
多感な時期を当時の最先端の街で過ごしました。

母のアイデンティティには
この新橋という地が根付いているようです。

そして私にとってはおばあちゃんの家があった場所。

自分の家より都会なおばあちゃんち。
なかなかレアかもしれません。笑

でもって大都会なんだけど、
ノスタルジーを感じる不思議な場所です。

長くなりましたが、
思い出と、この地について語らせていただきました。


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