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彼らが星になっても寂しくならないお話 〜量子力学的観点でこの世界を語る〜

もうすぐお盆ですね。
私の住むエリアは台風の予報ですが・・。(-_-;)

笠くんは初めてのお盆、新盆です。
みんながより一層笠くん(もちろん渡辺さんも)の事を思い出すこの時期、
本人も喜んでいるでしょうね。

ところで、あなたは量子力学という理論を知っていますか?

物理学の一つなのですが、ミクロの世界のお話です。
(前もって言っておきますが、
私は物理は全くもってちんぷんかんぷんな人間です・・)

人間も含めた物質を原子レベルまでどんどん細かくしていくと、
最後は量子というものになります。

最近では量子コンピューターなんてものも出てきていますね。
(仕組みはわかりません)

この量子は摩訶不思議な性質があり、人間が観測していないと
「波」(熱とか音とかあるものだけど物質ではないもの)として存在し、
人間が観測すると「物質」になる奇妙で曖昧なものなのだとか。

量子のふるまいは私たちの直感で理解するのは難しく、
これまでの古典的な物理学を推進してきた、
かのアインシュタインも「そうかもしれない」と思う事柄があっても、
それを証明できずに頭を悩ませたそうです。

で、この量子力学は世界の仕組みなんかにも関わってくるお話なのだけど、
これを研究している天才学者たちですら
「よくわからないもの」と言っている段階なので、
一般ピープルの私にはきちんとした説明などはできるはずもなく・・。

でも量子力学を仏教の教えとか私たちが普段何気なく考えている
あの世の話とかと照らし合わせると、合点がいく部分が多いのです。

と言う事で、あくまで持論ではありますが、
量子力学的に死生観を語ってみたいと思います。
(学術的に発表されてる話ではありません。
話半分に読んで下さいね。)

量子力学によると、
物質は量子の回転数によって硬さとか質感が決まるようです。
私たちの体もそれによって構成されているという事になりますね。

物質の部分はそれで理解できるとして、
精神ってどこから来てるんだ?と考えた事はありますか?

脳内の電気信号と言えばそうなのかもしれませんが、
私はこの精神も量子なんじゃないかと考えています。

いちばん細かいほぼ「波」状態のもの。
これが「魂」とか「念」「気」「オーラ」などなどと
呼ばれるものじゃないかなと。

そして物質としての存在が滅びても、
この「波」は残るんじゃないかと考えます。

そしてまた新たな「波」と結びついて物質として誕生する。

人が亡くなっても魂の存在や輪廻転生を信じている人は多いですよね。

量子力学を知るまでは死んだら無になると思っていた私ですが、
「いや待てよ」と考えが変わりました。

また、量子力学の私たちの常識をひっくり返すような説の一つに
私たちが観測していない時は物質は存在しないという説があるのです。

つまり、自分が見ていない所にあるもの、
例えば仕事に行っている旦那は、
サボって公園で暇つぶししているか、
煮詰まった会議に出席しているかは、
私が観測するまで確定事項ではない。

この世界はもやーっとした「波」だけがある世界で、
私たちが観測する事で「ピタッ」と世界が決まる。

この世は主観しかない世界なのだと。。

それが事実だとしたら自分の見ている世界が
ひっくり返るくらいの衝撃ですよね。

でも、地球が丸かった話も、
過去には「んなわけあるかい!」って世間で言われてたのに本当だった。

なので、量子の世界もあながち戯言ではないかもしれません。

ちょっとオカルトチックになっちゃいましたかね?
(すみません)

だけど量子力学を深掘りして行くと、
SFみたいなテレポーテーションやパラレルワールドの話、
はたまた人間関係についての理解とか深まって面白いですよ。

量子力学を説明するにはもっといろいろあるのですが、
2000文字くらいでは語れないので、この辺でやめておきます。
気になる人は調べてみて下さい。

で、何が言いたいかと言うと、量子力学的な視点で考えると、
亡くなって「波」になったとしても、それはここに漂っているのだと。

姿形はなくなったとしても、目の前の空間に溶け込んでいるのだと。

結局自分が見ていない所では「波」しか存在しないのであれば、
「波」だけになってしまった渡辺さんも笠くんも、
全く隔絶された遠い世界にいるという感覚はなくなって
なんだかまだ繋がってる感じがするのです。

もちろん、物質としてのその人がいなくなってしまった事で、
新しい情報は更新されないし、
ライブももうない無念さはあるんですけど。
(もっと身近な人は会話や触れたりもできなくなりますが)

だけれども、私が二人を想う時にエネルギー(「波」)が発生し、
二人のエネルギー(「波」)との交換はできるのだと思います。

渡辺さんと笠くんで言えば彼らの歌のエネルギー、
過去の映像から伝わるパフォーマンスの楽しさを受け取る事は、
彼らの生前と変わらずエネルギーの交換をしてるんだと思う。

こちらが出す楽しいっていうエネルギーをきっと二人は受け取ってる。

エネルギーって目に見えないから何もないように思っちゃうけど、
そこにちゃんと「ある」のだと。

こうやって科学的、現実的(なのか?)視点でものを見たら
寂しさも軽減されるかな、なんて思いました。

二人のエネルギーは自分が「ある」と思えばいつでもそばにある。

「いつも心にC-C-B」

このキャッチフレーズ、誰が考えたのか知らないし、
その時はそこまで深く考えてつけられたんじゃないと思うけど、
今となっては真理をついているキャッチフレーズですね。

私たちの心にいる限り、二人は無くならないのです。

今回は小難しいお話になっちゃいましたね。
読んでいただいた方は理解しきれなかったかもしれません・・。

「信じるか信じないかはあなた次第!」なお話なんですけどね。

私は何故だか渡辺さんと笠くんに関しては、
亡くなってしまった人に感じる憂いとか悲壮感を感じないのです。

ふと「あぁ、もういないんだっけ・・」としんみりする事はあるけど。

渡辺さんに関しては元々元気いっぱい明るさ1000ルクスで、
倒れる直前までそんな感じだったから、
突然のショックや悲しさはあったけれど、
そこまでどんよりしないのかもしれません。

笠くんは明らかに体調が悪いのだろうなと目に見えていたけれど、
本人はずっと笑顔で明るさを絶やさずにいてくれたから、
切なさはあっても今でも笠くんを思うと明るさを感じるのかも。

今でもこうして明るい気持ちで彼らを見れるのは
二人が明るいエネルギーを出し続けていてくれたおかげでもあります。

二人がせっかく私たちに届けてくれた明るいエネルギー、
こちらからも明るいエネルギーを返したいと思います。

それはきっと二人に届くと思うから。


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