見出し画像

C-C-Bってどんなバンド?②<結成からブレイク前>

昨日はC-C-Bのメンバーと音楽性についてご紹介しました。


C-C-B(ココナッツボーイズ)の活動期間は
1983年6月から1989年10月までの6年4ヶ月で、
「Romanticが止まらない」でブレイクしたのは1985年になります。
今回は結成時からブレイク前までをまとめたいと思います。

元々は青山のミニFMステーション「KIDS」で、
夏っぽいバンドを集めてレコードを出すという企画の中の、
一つのバンドとして結成されました。

その企画では他にパイナップルボーイズとか、
オレンジシスターズというトロピカルな名前のバンドがいたそうで、
C-C-Bはココナッツボーイズという名前でそこに参入します。
(ちなみにC-C-Bはココナッツボーイズの略で、
「Romanticが止まらない」のリリース時に
ココナッツボーイズからC-C-Bに表記を変えました。)

その時のKIDSの企画で作った曲が、「夢のスーパーボード」です。

↑この音源持ってる人がいたとは!すごい!!

ココナッツボーイズのデビューシングルは「CANDY」という曲ですが、
「夢のスーパーボード」はほんとのほんとに
一番最初にC-C-Bが世に出した楽曲という事になりますね!

ちなみにこの頃はまだ田口さんと米川くんはいません。
二人はセカンドシングル&アルバムから加入します。

さて、どうやってココナッツボーイズのメンバーが揃ったのかと言うと、
最初に渡辺さんの所にKIDSの企画の話があり、
前に一度面識のあった関口さんと、
以前一緒にバンドをやった事のある笠くんに声をかけ、
3人が集まりました。

関口さんはこの時に初めて笠くんと会うのですが、
後にこの時の事を
「明るくってさ、話も飛んでるし、とにかくおもしれえ奴だなって。
こいつとならウマくやっていけるってピンときたよ。」と語っています。
ちなみにこの時笠くんは髪が長かったようで、
関口さんは最初女の子だと思ったようですね。

渡辺さんと笠くんは田口さんを通じて知り合い、
渡辺さんは笠くんより学年で言うと3つ上なので、
最初は怖かったようですね。

にもかかわらず、
初対面の時に渡辺さんから預かっていたベースを壊してしまい、
田口さんに罪をかぶってもらったというエピソードもあります。

ココナッツボーイズ結成時は田口さんにも声をかけたようですが、
田口さんは同時にマッチ(近藤真彦さん)の
バックバンドの仕事も声がかかっており、結果そちらを選びました。

ただ、ココナッツボーイズの手伝いは
ちょくちょくしていたみたいですね。

という事でこの時は渡辺さん、関口さん、笠くんに加え、
関口さんの友人のキョウジュさんがキーボードとして、
またマネージャーだったせいちゃんという人も入り、
ひとまず5人体制のココナッツボーイズが生まれます。

しかしこのせいちゃんというメンバーが、
ことごとく音程が取れなかった事から、
笠くんの知り合いのギタリスト、タッチンと入れ替わります。

そしていよいよメジャーデビュー曲「CANDY」をリリースしますが、
リリース後にキョウジュさんとタッチンさんが抜けてしまいます。

でもって今度はマーチャンというギタリストを加えて
アルバム制作を行うも、その後「KIDS」がマネージメントから外れ、
事務所がない状態での活動を余儀なくされます。
そのため詐欺にあったり、
せっかく入ってくれたマーチャンも去ったりと散々な目に・・。

そこで悲惨な状況の3人を見かねた田口さんが、
マッチのバックバンドから
ココナッツボーイズへの参入を決めます。

更に後のマネージャーになる長澤氏から、
自身の事務所「スナフキンカンパニー」で
面倒を見てやると連絡があり、
ココナッツボーイズは心機一転、再始動。

さらにギタリストをもう一人入れたいとの事から、
所属事務所主催のギタースクールで
優秀だった米川くんに声がかかり、メンバーに加わります。

これで世間が見知っているC-C-Bの形が出来上がりました。

でもだからと言って簡単にブレイクできた訳ではありません。

セカンドシングルの「瞳少女」は作詞を秋元康氏が手がけ、
CMタイアップ曲であったにもかかわらず、ぱっとせずに終わります。

リアルタイムでC-C-Bを知っている人は
おそらく目薬のCMで聴いた事あると思う「瞳少女」。
ただこの歌を歌っていたのが後のC-C-Bだと言う事を知っている人は
ファン以外ではほとんど知らないのではないでしょうか?

私も「瞳少女」はCMで知っていましたが、
それがC-C-Bだとわかった時は、情報が一致せずに脳がバグりました。

↑ブレイク後にテレビで「瞳少女」を披露した貴重映像

その後もC-C-Bは売れるために策を練ります。

事務所内でも「あんな人いたっけ?」と
囁かれるような存在だった彼らは、
まずは周囲にインパクトを与えるために髪を染めます。

当時、芸能人でも髪を染める人はほとんどいなかった時代、
ピンクや紫のヘアカラーはかなり奇抜な人と認識され目立ちました。

さらに大きな話が舞い込んで来ます。

TBSゴールデン帯のドラマのテーマ曲を
C-C-Bが歌う事に決まりました。

しかも作詞は松本隆氏、作曲は筒美京平氏という、
大物ヒットメーカーが手がける楽曲です。

「これで売れなかったら自分たちのせいだ・・」と、
この曲が売れなかったら解散を決めていたようです。

そして筒美氏からはこのような注文が出されました。

「この子(笠くん)がメインボーカルでなければ曲は書かない」と。

それまでは笠くんはドラム担当だった事もあり、
メインで歌う事はありませんでした。

筒美氏は笠くんの透明感のあるハイトーンボイスに
売れる要素を見出したのでしょう。

ただ、突然ご指名を受けた笠くんの戸惑いは相当だったと思います。

当時のことを渡辺さんはラジオで
「レコーディングの時、こいつ小学生みたいに涙してんの」と
冷やかしていましたが、本人の気持ちを想像したら泣きたくなるよね。

歌は相当な指導が入ったのか、
それ以前とは劇的に歌い方が変わりました。

そして見事にこの「Romanticが止まらない」はヒットし、
多くの聴衆は笠くんの声に魅了されました。

そこを見つけた筒美氏はさすがだなと思います。

何度も見捨てられたり危機的状況に陥っているにも関わらず、
何気にチャンスや助け舟が舞い込んで来るのは
彼らの不思議な所ではありますが、
それは彼らにそれなりの実力があった事と、
明るく素直、実直なキャラクターが周りから
「助けてやりたい」と思わせたんだろうな。

さて次回はブレイク後のお話をしていきまーす♪


この記事が参加している募集

思い出の曲

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?