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変わっていく山を見つめて

人為的にすっかり変わってしまった山がある。

埼玉県在住の人、または、登山家の関東圏在住の人ならこれだけでピンと来るかもしれない。

そう、武甲山だ。

武甲山には良質な石灰岩があるため、明治からセメントの原料としての採掘がされるようになり、1980年には山頂が爆破までされたらしい。未だに日々削り取られている。

九州生まれ九州育ちの私が初めて武甲山を見たとき、同じく九州人の両親と「あの山、何?」と話したことを覚えている。一目で人間に削り取られていることが分かる山はとても不気味に見えた。

その後、私は、埼玉県人の登山が趣味の夫と結婚し、入籍後、最初に登った山が武甲山だった。写真はそのときに芝桜が満開だった羊山公園から撮ったものだ。羊山公園から見た武甲山はまるで人工的に作られたピラミッドのようだ。もはや山に見えない。

この武甲山登山のときに、夫から、武甲山は昔から信仰の山であること、東京のビルを作ったのは武甲山だということを聞かされた。

私が子どもの頃、我が家には初詣という習慣がなく、なぜかお正月に地元の山へ行くという習慣があった。九州から関東に出てきてからは、お正月には富士山へ行くようになった。
子どもの頃には特に山への信仰心があったわけではないけれど、そうやって育ってきた私にとっての初詣は山へ行くことだったし、大人になってからは、カメラをはじめたこともあり、お正月にはダイヤモンド富士を見に行くようになり、そのあたりからは、富士山を拝みながら、その年の健康なんかをお願いしたりしていた。今になって思えば、知らないうちに、私もすっかり山岳信仰をしていたのだと思う。

だから、夫から武甲山が信仰の山だったという話を聞いた私は、あれほどまでも山を削ってしまうことは果たして許されるのだろうか、と思い、夫にそのまま聞いてみたところ、夫は、武甲山が高度経済成長時の東京のビルを作って、今の日本を支えてるんだよ、というようなことを言った。

たしかにそうかもしれない。

でも、そもそも、山や自然、ひいては地球って誰のもの?

その時代の人たちが、それらを勝手にどうにかしてしまうことは許されるのだろうか、そんな思いが湧き起こってきた。

私と同じように、お正月には武甲山に向かって、その年の健康や幸運を祈ったかもしれない人々のことを思うと、なんだかとても悲しい気持ちになった。
例えば、富士山が、武甲山のように削り取られて姿を変えられてしまったら、子どもの頃に何度も何度も行った地元の山がそうなったら。
そう思うと、悲しみややるせなさを感じずにはいられなかった。自分が心の拠り所にしてきた山が日々削り取られていく。子どもたちや孫たちはもう自分が大切に想ってきた山を見ることはできない。なんと辛く、悲しいことだろう。

武甲山の採掘は、地元産業として地域の発展を支えてきた側面もあると思うし、武甲山が日本の近代化を支えたという側面もあると思う。だから、武甲山に祈った人たちにとってもマイナスばかりだったわけではないかもしれない。

でも、もっともっと後世の人から見たらどうだろうか。

なぜ昔の人は武甲山の姿を変えてしまったのか、何でそんなことをしたのか、と憤りを感じる人もきっといることだろう。

すっかりその姿までも変えてしまった武甲山は、もう二度と元に戻らないのだ。そう思うと、すでに変わってしまった武甲山しか知らない私ですら、私の生きる時代に武甲山が削り取られていくことに対して罪悪感を覚えてしまう。

私は、山や自然、地球は借り物だと思っている。遥か大昔から次の世代へ次の世代へと貸し渡されてきた。そして、今、私たちが借主だ。でも、借主であって、所有者ではない。私たちは日々自然の恩恵を受けて生きている。だから、自然を全く使うな、なんてことは無理な話だ。だけど、不可逆的にその姿を変えるまで自然を奪ってしまうことは、やっぱりどうしても許されないと思ってしまうのだ。

借りたものは、大事に大事に使って、返さなくてはならない。壊すようなことがあってはならない。
それは地球だって同じだ。
そうやって遥か大昔から受け継がれてきたのだ。
私たちの代でその営みを途切れさせるわけにはいかない。
山や川や海、大切に大切に受け継がれてきたこの地球を、私たちも大切に大切に子どもたちへと受け継いでいかなければならないのだ。










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