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選ばなかった未来を想像してみても。

私が公務員だった頃、ただ、ただ、早く辞めたかった。
理由はここで詳しくは書かないけれど(書けないことが多い)、一言で言えば、公務員が向いていなかったから。
それでも、一度手にした安定。まあまあ得られる社会的地位。
本当にやりたい仕事でもなければ、向いてもいないのに、それでも、なかなかぬるま湯から抜け出すこともできなかった。

結局、心身ともに無理が祟って、難病を発症してしまったときに「このままでは絶対に後悔する!」と思って、公務員を辞めた。
辞める前は、「辞めてしまってから、辞めたことを後悔しても、もう元には戻れない。」ということを気にしていたものの、辞めてから、辞めたことを後悔したことは、今のところ、一度もない。

私は「公務員として生きる未来」を選ばなかったのだ。

それなのに、3月の異動期に、1番仲の良かった同期から栄転の話を聞いたとき、素直に喜べなかった。
その同期には、研修中にずっと勉強を教えてきたという自負があった。年上だけど、私のことを「師匠」だと冗談で言ったりもしていた。
それだったら、尚更、同期の栄転を喜ぶべきなのに。
それなのに、
「私が残っていたら…」と選ばなかった未来を想像してしまったのだ。
そして、なぜか、嫉妬のようなドス黒い気持ちが心の奥底から湧き上がってくるのを感じて、自分でも動揺してしまった。

そして、私は、そのことを同期に素直に告げた。
そのとき、同期は、私が辞めてから、ものすごく努力をしたということを教えてくれた。
そうしてはじめて私は同期の栄転を素直に喜べた。
私は、同期の栄転が努力によるものではなく、運によるものだと思っていたからこそ、嫉妬のような気持ちが湧いてきていたようだった。

それからは、同期の新しい仕事の話を聞くと、同期が慣れないところで頑張っているということが、ただ、ただ、嬉しくて、頑張れ、頑張れ、と心から応援している。
そして、「私が残っていたら…」という想像もしなくなった。
同期の栄転は、紛れもなく、運ではなく、同期自身が掴み取ったものなのだ。

それから、選ばなかった未来を想像してみても、結局は、選んだ今の幸せやありがたさに気付かされるだけで、選ばなかった未来は、やっぱり私にとっては「選ばなかった」道なのだ。
そう思うとき、安堵のような柔らかい心地よい気持ちに包まれる。
それはどこかで、「選ばなかった」ことを後悔する日が来るのではないか、と恐れる気持ちも未だくすぶっているからなのだろうか。

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