#20180310 「5歳だったあなたへ」

平成30年3月10日。
父親が逮捕された日に
その存在を知ったあの女の子。
亡くなった前日、
水のシャワーを浴びせられていた、と
ニュースは報じていた。

どんなに冷たかったろう?
どんなに自分を責めただろう?

息を引き取る瞬間に
天使の姿は見えただろうか?
何を想いながら
この世界とさよならしたんだろうか?
子を持つ父親として、
いたたまれず、涙がとまらず、
「どうして、そのか弱い命を
 自分も含めた周りの人間たちは
 救ってあげることができなかったのか?」
その想いで胸が張り裂けそうになり、
2歳の息子を抱きしめてあげることが
逆に申し訳ない気持ちになり、
彼女のたった独りのせつない想いを、
誰にも届かなかった叫びを、
少しでも受け止めてあげたい一心で
ひとり自分の部屋で彼女になってみた。
その晩に残した詩です。
あの日から彼女は、ずっと自分のなかに生き続けています。
決して忘れてはならないし、忘れることもできない。
彼女の献身を無駄にしないように。
いまもどこかで、
同じように救いを必要としている幼い命が
きっと世界中にいるはずだから。
せめて、もう同じ悲劇が繰り返されぬよう
毎日、彼女を想い続け、
想いを行動に代えていくことを
改めて誓います。
 
 

虐待でなくなる直前に水のシャワーをかけられた5歳のあなたへ。
たとえ生を失ったとしても、あなたの旅は終わりではありません。
一度、自然に、宇宙に戻って、いつかまたあなたは生を受けることができます。
そしてきっと、次に生を受けたときには、もっともっと大きな愛と温かみに包まれ、いまよりずっとずっと幸せな時間を過ごすことができると信じています。

長い順番待ちはあるだろうけれど、そのぶんだけ、同じ時空にいるたくさんのなかまたちがそばにいてくれるはずです。

そう。
わたしたちはけっして無ではないのだから。

いつまでもあなたはみんなの胸のなかに…
 
 

わたしは、このほとんど無にちかい、希薄な希薄な空間のなかで、奇跡的にであった微粒子がわずかな引力でくっつきあい、また別の微粒子を引き寄せあって電子をまとったり、物質として生まれ変わりながら、すこしづつ目に見えるほど大きくなっていって、長い長いとても長い年月をかけて、霊長目ヒト科ホモ・サピエンス・・・つまり、人間としてのかたちをなすことができた存在です。
どれだけの確率でこの世に生を受けたのか思いもよらないけれど、この宇宙に無数に散らばっている微粒子のなかまたちのなかで、自分がこうして想いをめぐらせたり、言葉をつむいだり、家族と思い出をつくったりしたことは、とても幸運なことだったなと、いまもそう思います。

わたしが人間の子として、
5歳まで生きたときのこと・・・
 
  
 
まわりのおともだちは、「パパ」とよべばおおきなうででだきしめてくれるんだそうです。
でも、うちにはそんな「パパ」はいません。

そのかわり、いつもわたしのことをおこったり、ぶったりするパパがいます。
でも、なんでそんなことをされるのか、わたしにはぜんぜんわかりません。

おしっこをもらしてしまったからかな?
おなかがすいた!とないたからかな?

ママにはきいてもらえることも、パパにはきこえていないみたい。
 
 
こないだ、かんかんにおこったパパは、わたしをはだかにしておふろにつれていきました。
ママはあったかいシャワーをかけてくれていたけれど、パパがわたしにかけたシャワーはとてもつめたかったです。

からだじゅうにぶつぶつがでて、おおきなくしゃみがでました。

「つめたいよう」といってみたけれど、やっぱりあのパパにはきこえていないようでした。

ぴちゃぴちゃぴちゃ
ぴちゃぴちゃぴちゃ

じっとがまんしていると、いつもはきづかなかったおとがきこえてきました。

「『おもしろいおとがしたよ』って、ママにもおしえてあげよう」
そんなことをかんがえているうちに、いつのまにかまわりがまっくらになりました。

  
そこからのことはおぼえていないけれど、もう、わたしはにんげんではなくなったみたい。

にんげんになるまえの、ちっちゃい、ちっちゃい、みえないくらいちっちゃいつぶつぶになって、ばらばらにちらばっちゃった。

でも、どこかからか、こんなこえがきこえたよ。

「わたしたちはけっして無ではありません。
 いつまでもこの胸に」
 

 
・・・そうして私は、また人間になる前の、かたちのない状態に戻りました。

でも、私は知っています。
命は儚いものだけれど、また巡り巡って別の命に生まれ変われることができることを。

そのあいだ、命ではない何か別の物質になるのかもしれないけれど、それでも決して無にはなりません。

だから、
大人になれずに肉体が滅びてしまったとしても、
人並みの愛情を得られなかったとしても、
お母さんとおなじこの地球にいるかぎり、
もしかしたらまたおなじ人間として出会えるかもしれない。

ずっとそう信じながら、わたしは待ち続けることでしょう。

ふたたびいつか、命を授かるまで。

しばらくは他のなかまたちと同じように、
静かに順番待ちの列に加わっています。

だから、
もういまは
ひとりぼっちじゃない。

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