愛が分からない

ここの所、やる気、モチベーション、創作意欲などがまるでなくなってしまっている。ダラダラと毎日を過ごしてしまう。そして罪悪感を感じる。

何をやっても満たされない。虚しさを感じてしまう。

流石にやばいと思って、数日前から久々にモーニングページ(ノート療法)をやっている。

そこで出てきたのは、とにかく「淋しい」「愛が欲しい」という感情。あーやっぱりそれか。
いくら他人から評価されようが、酒を飲もうが、旨いもん食おうが、セックスしようが、結局は愛がないと満たされないんだなと。

ただ自分は「愛」という概念を本質的に理解出来ていない。言葉としてはわかる。でも理解は出来ない。

なんだか以前と同じ所に戻ってきたなと感じて、酵母マン氏の克服記録を久々に読み返してみた。
そしたらボンヤリと今の現状が見えてきた。気がする。


先日書いた、「人を上か下かでしか見れない」とか「完璧じゃないと許せない」とか「白黒思考」ってのは、要するに「無条件で自分を(他人を)愛せない」とも言い換える事が出来る。等身大の自分がないとも。

でも愛の本質って「等身大」「ありのまま」を受け入れる事であると思う。(無条件)

今の自分は、無意識に条件的な愛を求めてしまっているという事。

虚しさとは、虚無感への入り口。

外に向ける意識、条件付きの愛を求める意識。これは依存。
しかしこれを外したくても外れない。これが毒親の洗脳、パーソナリティ障害の弊害と言える。
今までの自分は外した気になって、その後の作業を進めていた。

今の自分は「虚無の手前」だと認識した。

正直今のまま、周りに縋りながらやり過ごす事も出来る。

でも自分は嫌だ。

淋しいのは嫌だ。虚しい人生は嫌だ。

愛を知りたい。

もうやる。もう一度本気で克服を目指す。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?