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エッセイ:誰とも会話しなかった「無」の半年間と、ホームレスに囲まれて食べたハッシュドポテト

 突然ですが僕はいま天蓋付きのベッドとサーカステント以外に何もない部屋に住んでいまして、まあ客観的に見ても異常な環境だと思います。天蓋付きベッドのみならそういう趣味で伝わりますが、サーカステントと合わさると精神異常者の心情風景っぽいですね。

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 完全にバカが考えた部屋です。小学生がRPGツクールやって家具の配置途中で飽きた感が気に入っています。

 さて、自分の趣味の一つに合法のスピリチュアルなお茶で幻覚を嗜むという行為がありまして、この部屋もセッティングとしては個人的に完璧に近いです。無駄な物がなく、美しいモノだけが目に入るので。因みに本当に合法です。僕に前科はない。

 そんなこんなで、その日も天蓋付きベッドの上という閉鎖空間で幻覚体験に耽っていると、急に孤独感が大きく膨らみ、自分が今世界で一人きりじゃないかという感覚に襲われてしまいました。しかも、この感覚には確かな覚えがある。感感俺俺みたいな文になった。

 孤独と閉塞感に包まれつつ、自意識の奥へと潜っていくと、どうも暫く忘れていた「本当に孤独で何もかも無だった期間」を思い出し、既視感の正体を掴みます。あまりに無の時間過ぎて記憶に全く残っていなかったのです。

 自分は家賃と保証人不在の都合から部屋を借りれないため、長期間ルームシェアやシェアハウスを続けてきたのですが、上京して大学を辞めてから友人と暮らすまでの半年間は一人暮らしでした。それも、その半年間はコンビニの店員などを除けば一切会話すらしなかった「虚無」の日々。

 僕は大学にまともに通わず夏休み明けには退学した典型的なゴミカスキモオタ引きこもり野郎でして、沖縄から上京した上に(しかも自分以外で都内の大学に受かった人間は一人も居ないレベルの底辺高校出身)大学にも通っていないということは友人なんて存在しません。

 それでも僕は特に不満はありませんでした。お金は学生ローンと奨学金があり、もちろんいずれ終わりがくるのは分かっているものの、金が尽きて死んだらその時はその時で良いと本気で考えておりました。今もその刹那的な思考はあまり変わっておりませんが。
 まあこれはカッコつけた考え方で、もっと本心を曝け出すなら美少女ゲームや漫画・アニメに耽っていただけ……特に沖縄では放送すらされない深夜アニメが無料かつリアルタイムで見放題なのは新鮮です。沖縄県は本当にバカ。オスプレイ。二度と足を踏み入れない。嘘。本当はちょっとお母さんに会いたい。

 半年のあいだ誰とも会話せずに過ごすというのは字面以上に異常でして、その頃は今と違ってインターネットで長文を書く習慣もありませんでしたので生産的なことは一切ありません。ただただオタクコンテンツを貪り、肥えていくだけ(実際はむしろ痩せましたが)の社会の害虫。

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 「銀色」という美少女ゲームに、自身の名前すら知らない薄幸の美少女がホタルを眺めながら「生きているから光ってるの? 光ってるから生きてるの?」と問うシーンがあるのですが、その時の経験を踏まえた上で答えるなら「光っているから生きている」ので、暗闇の中モニタの冷たい光だけで暮らすオタクは生きていません。朝は勿論ずっと寝ています。太陽の光は眩しすぎるけど、月明りは優しく照らしてくれるから……。

 来る日も来る日も美少女ゲームとアニメの連続。代わり映えしない無の日常。ルームシェア時代も大概同じ事の繰り返しでしたが、友人と話す時間が一日数分でも必ずあるという点で大きな違いがあります。

 自意識と自虐を吐き出す場もなく、というかそんな考えにすら至らず、感覚的には緩やかな自殺をしているような気持ちで過ごす毎日。井の中の蛙は大海を知らず、幸せな人間を観測しなければ相対的に不幸を嘆くこともないまま無が続いていく。昔ODでラリった無職のオタクが「俺は無に愛されている!」と叫び始めた事があったのですが、当時の僕は間違いなく無に愛されていました。
 あまりに時間を持て余しすぎて、たまたま目に入ったキカイダー原作のセリフを暗記に挑戦した記憶があります。僕にも良心回路が装備されていれば違う人生を歩んでいたのでしょうか。

 そんな中、インターネットで自分と同じ底辺たちを眺めていると、「開店直後のマクドナルドで先着○○名までハッシュドポテト無料キャンペーン」を発見。今思うと狂気の沙汰な企画ですね、これ。細部はうろ覚えですが大体こんな感じのイベントが始まり、全国の暇人たちが注目。当然、僕も騒いでいるインターネットのオタクたちに輪をかけて暇人なので、「レジに並んだのにお金を払わなくていい」という体験がしたくてアップを開始。
 その辺の社会人や大学生と違ってキャンペーン開始の早朝5時からでも問題なく動けることにアイデンティティを感じてしまい、居ても立ってもいられない状態に。社会人はハッシュドポテト一つで羨ましがる訳ないと冷静に考える知能なんて無職にはない。

 真冬の早朝4時半、とことこ歩いて最寄りのマクドナルドへ。そこで見た光景は一生忘れることはありません。
 調子に乗って一番乗りした甘寧の気持ちでいた僕が目にしたのは、閉じたレジの前に並ぶホームレスの集団。ホームレスオンリーイベントかよ。
 幸い自分は生まれつき嗅覚がない病気なので臭気を感じることはありませんが、レジ窓を開けた瞬間のお姉さんは先ず異臭に襲われたことでしょう。あまりの異質さに一般人は一切並んでいません。ハッシュドポテト一つのためにホームレスの大群に突っ込む暇など人間は持ち合わせていないのです。……僕以外は。

 逆に「こんな苦労してまで無料でハッシュドポテトを食べるのは価値のあることだ」と勿体無い精神と好奇心の混ざった無意味な意地に舵を取られ、我慢してホームレスを掻き分け並び始める。間違いなく10代は自分だけ。

 ……その間、実際はどれだけの時間が過ぎたかは今でも分かりません。唯一分かることは自分にとって無限に近い時間と苦痛が通過していった事だけで、並んでいる間はボロ布を纏った老人と老人の狭間で沢山の事を考えました。

 薬物により加速した人間は数分で何時間分の思考に潜るのですが、その時の僕は正しくその状態。明確に自分よりも社会的に下の存在たちに囲まれることで脳がバグって瞑想の牢獄へ突入。凍えるような寒さが、脳と肌感覚を程よく麻痺らせる。
 今までの人生の走馬灯。初めての小学校。友達と4人で遊んだ64のボンバーマン。侵入した友達の兄貴の部屋で読んだ殺し屋1。スポーツマンだったクラスメイトが急に灼眼のシャナにハマってメロンパンを食べ始めた瞬間……。
 加速する時の中で、どれが幸せで不幸だったのか。ホームレスと自分の違いはなにか。今自分の服装が深緑のジャケットになったら彼らと同化するのではないか。ハッシュドポテトの価値とは……。

 永久とも思える時間の果てで、どうにかハッシュドポテトを貰ってマクドナルドから踵を返す。振り返るとまだホームレスの列は続いている。もう僕には何もわからない。ハッシュドポテトも並んだわりに特別美味しいわけでもない。ただ一つ直感したのは、このキャンペーンが明らかに失敗しているということだけ。

 ただ無料でハッシュドポテトを食べて、退屈な日常からちょっぴり悦に浸りたかっただけなのに、一生脳裏に焼き付くレベルの異世界を体験した僕は初めて自分が大きな無の中に立っていることを自覚します。

 しかし、その程度でまともになるなら無職なんてならないわけで。
 別に翌日から急にシャキッとする事もなく、その後も花の慶次を読んでブラックリリスの作品で射精したような記憶があるのですが。
 まぁ僕は今も光っているかどうかで言えば暗いままですし、あの「無」の日々に戻ることに抵抗もないです。オタクはどこまでいっても独りであって欲しいし、なにより深夜にやることもなくYouTubeで知らない曲とか適当に飛んで朝になって取り敢えず寝てを繰り返す日々って悪くないですよ。光らないホタルもホタルの一匹なんです。

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