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「視座」と「本質」

※ 画像: 先日ブルーノートに行ってきました。JOEY ALEXANDER、最高すぎ

視座

【視座】
〘名〙 知識社会学で、個人が、置かれた状況によって条件づけられた形で、社会に対し、社会を見る視点、座標をいう。転じて、一般に、物を見る姿勢、視点。

https://kotobank.jp/word/%E8%A6%96%E5%BA%A7-518827

「視座が高い/低い」など、高低で語られることが多そうですが、辞書を引くと単なる視点や座標みたいに言われてるんですね。新発見。
高低で語ることもできたり、多次元的であったりするのでしょう。たぶん。
以下の記事でも色々な軸でプロットしているようです。

「視座」のことを厳密には理解できてない自分ですが、ヒューマンマネジメントや採用のときにはかなり意識しています。

採用時は、「視座が高いかどうか」を見るようにしています。
考え方が自分本位で閉じてないか、チームや会社全体、社会の状況など、幅広い部分を考えたうえで選択できているか、など。

ヒューマンマネジメントをするときは、メンバーの視座を上げるようにコーチングやタスクアサインなどをします。
隣接領域に挑戦してもらったり、他のチームと関わってもらったりなども行います。

なぜ「視座の高さ」を重視するのか。以下のようなメリットがあるからです。

  • 全体の方向性と合致した効率の良い動きができる

  • 自分自身の動き方を自分で決められるようになる

  • 他人の置かれてる状況を理解し、衝突しにくくなる

  • マネージャーやテックリードなどのキャリアプランを設計しやすくなる

社会で働く上で、おおよそ視座が高いほうが有利なケースが多いと思います。なので、基本的には、視座を高める方向のマネジメントをしています。(もちろん人によりますが)

本質とは

「視座」と並んで、最近自分が気になっている言葉です。

「本質」という言葉を使うパターンは、「自分が本当に本質だと思っているため」か、「周りが本質的であると感じている思考に寄り添うため」に二分されると思います。

前者であれば、場合によっては慎重になった方が良いかもしれません。
その文脈で使う「本質」は、「今の自分の視座から見た本質」の可能性があるからです。
視座が高い場合は問題ないケースも多いと思いますが、視座が低い場合だと部分最適解を導いていることもあります。

例えば、「この対応では本質的な解決につながらない」とエンジニアの視座から言ったとしても、「ユーザーの心情に寄り添っているため本質的な対応である」とPdMは思っているかもしれません。

このように、「本質」は、見ている視点で変わります。
個人的に、「本質」は「そもそも定義できずあり得ない」ものだと思っています。もしくは、「閉じた系の中での条件付きの最適解」です。
そこを自覚した上で使ったほうが良い、注意すべきワードと考えています。

普段からどんな視座でものを語っているか。
まずは自分を知るのが重要かもしれません。
自分も、改めて見返してみようと思います。

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