見出し画像

社会は搾取する側とされる側に分かれていて、その差は開いていくばかりだと感じた話


先日、シンガポールに移住された福田萌さんのこちらの記事を読みました。

まとめると、

ご主人がほとんど家事参加をされないとのことで、お二人の小さなお子さんを抱えて家事に疲れ果て、日本にいる際には週に一回、3時間の家事サービスを4万円ほどで外注していたこと。

しかし、シッターが文化のように根付くシンガポールでは、税込で6万から10万で住み込みのヘルパーさんを雇うことができるということに驚いたこと。

彼女たちはインドネシア、ミャンマー、フィリピンなどの物価が低く貧しい国から自国の家族を養うために働きに来ているため、ヘルパーを雇うことは雇用を生み出す上でも互いにとってWin-Winなのだと理解したが、24時間365日同じ屋根の下で暮らすことのメリットとデメリットを天秤にかけるとまだ答えを出せないこと。
こうした趣旨のお話でした。

私は彼女のアンチではないのですが、彼女があくまでもヘルパーさんを雇うことを「費用対効果」と「自分たちにとってヘルパーさんが家に住み込むことが負担がないかどうか」でしか捉えていないのだな、と感じました。

もちろん彼女の「雇用を生み出す」という主張は間違ってはいないのですが、彼女に限らず、もちろん自分も含めて、搾取する側というのはいつだって無自覚なんだろうな、と思ってしまったのも事実です。

なぜ、私がこのように感じたのかというと、地方から一緒に出て来た小学校からの同級生が、まさに同じように富裕層のご夫婦の家で10年以上、シッターとして働いているという話を聞いたからです。

1.搾取される側は自己責任なのか


ここから先は

3,700字

¥ 200

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?