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娘が一生懸命になれるもの

2回目のピアノのコンクールが終わった。

昨年初めてコンクールに挑戦したときは、予選敗退した理由が分からなかった娘。「今度こそ本選で演奏したい」、「もっとうまくなりたい」と、今年も参加を決めた。

娘の意思に委ねた練習期間

今年は、今まで以上に一生懸命練習していたと思う。コンクールの楽譜をもらってから毎日必ず練習していたし、友達と遊んでいても自分から早めに帰宅して練習していた。

ちなみに、ピアノの練習には口を出さないよう先生から言われているので、私たち親は、「コンクールに出るか出ないか」の判断から「練習するかしないか」まで、全て娘の意思に委ねていた。私は、「練習しなさい」と言われても駄々をこねるタイプだったので、それだけで娘はすごいなと思う。

練習する様子を見ていると、次第に自分の奏でる音を客観的に聴けるようになり、どこをどう練習すべきか自分で考えるようになって、観察していておもしろかったし、頼もしかった。(先生に指摘されたところより、自分が気になるところばかり練習している節もあったが。)

一生懸命取り組んだ人だけが分かる上手さ

ある日のレッスン後にお迎えに行くと、先生が娘に「コンクール本番では、他の子たちの演奏も聴いてみてね」と話していた。

「去年も聴いてたよ?でもよく分からなかった」

「一生懸命取り組んだ子だけが、『あの子、上手だな』『素敵な演奏だな』って分かるようになるのよ。今年はどうかな?上手な子、いるかなぁ?」

「一生懸命取り組んだ子だけが、他人の上手さに気付く」という言葉は、何だか心に刺さった。去年のコンクールだって、大人顔負けの演奏をする園児もいたが、その演奏を聴いてもピンと来なかった娘。今年はどうだろう。

その後、思うように弾けなくて泣く日もあったし、本番が近づくと緊張からかミスして泣く日もあった。それでも毎日、自らピアノに向かい、ついに本番を迎えた。

本番当日

最後は、「楽しんで演奏しておいで」と送り出し、自席から演奏中の娘を見ると、緊張しつつも笑顔で弾いていた。演奏後、娘は「思った演奏ができた」と、はにかんだ。

その後、他の子どもたちの演奏を聴く娘の表情は、昨年よりも真剣だった。「今の子、すごい」、「音がきれいだったね」、「上手だった」と他の子の演奏が終わると感想を話してくれた。それだけで、「あぁ、一生懸命練習に取り組んだんだな」と感じた。

夕方に帰宅し、スマホで結果発表を見る。娘の番号はなかった。

娘は「えっ・・・何で?本当に番号ないの?なんで・・・」と落ち込んだ。しかし、本選出場が決まった子の番号を伝えると、「そうか、あの子上手だったもんね。」と、納得していた。昨年は本選に上がれなかった理由がわからなかったのに。

目にうっすら涙を浮かべる娘に、「結果より挑戦したことが、素晴らしいんだよ」と声をかけた。きっと小学生の頃の私だったら、楽譜も難しそうだし、遊ぶ時間も減るし、絶対出なかったと思う。「ママにもできないことに自分から挑戦しているんだから、本当に尊敬してるよ」と話した。

上手さが分かるくらい一生懸命になれること

「一生懸命取り組んだからこそ、良さが分かる」というのは、仕事でも趣味でもそうなのかも知れない。私は、ライターとして仕事をしているが、他の人が書いた文章を読んで、「うまいなぁ」と感じることは多々ある。一方、アートやスポーツなんかは、「すごいんだろうけど、よく分からないな」ということもある。

きっと、作品や結果そのものの上手さだけでなく、その境地に至るまでの苦労や努力が分かるからこそ、「上手いな、すごいな」と深く感心できるんだろう。娘は、他の人の上手さに気付けるほど、一生懸命になれることを見つけられたんだなと、嬉しくなった。

今年のコンクールも、昨年と同じ成績だった。でも、娘は大きく成長したと思う。娘にはこれからも、好きなことに一生懸命取り組んで欲しい。

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