見出し画像

読書感想 木村敬一著 「闇を泳ぐ~全盲スイマー自分を超えて世界に挑む。~」

物を見たことがない、あるいは見た記憶がない全盲の人は、スポーツでもマッサージ
でも「体得」するのが難しいらしいという事を聞いたことがある。

先天盲の人の中には誰かと話していても下を向いていたり妙に反り返っていたりす
る人がいる。食事するとき以外は時計の振り子みたいにずっと左右に体をスイングさ
せていた人がいたのにはびっくりした。

私のクラスメイトでとても姿勢がきれいな先天盲の人がいた。聞いてみると彼のご両
親は彼がもう見えないとわかった時からいろいろな教育関係の勉強をして、姿勢につ
いても子供のころからかなり厳しく注意されたそうだ。
鏡も見えないし、人のふり見て我がふり治せないのだから、イメージトレーニングも
できない。誰かに教えてもらわない限り、自分の形を修正することができないのであ
る。


この本の中に出てくる盲学校の寺西先生には私もお世話になった。先生は当時、先天
盲の強い選手がなかなか育たないと言っていた。
そんな中、見えていた記憶がない木村君はどうやって金メダリストになれるくらいの
選手になれたのかに興味があって、この本を読んでみた。

しかし木村君本人は、ただ一生懸命練習してメダリストになったのだから、この本の
中には私が知りたかった回答はなかった。考えてみれば当たり前である。
中途障害と先天盲のスポーツ体得の違いについて知りたければ、今までたくさんの視
覚障碍者スイマーを育ててきた寺西先生が書いた本があったらそっちを読まなきゃだ
よな(汗)


私もここ数年コロナ禍であまり運動の機会がなくなってしまったところ、視覚障碍者
の友人と二人で水泳を習う機会を得た。パラ選手とは雲泥の差だが、ほとんど泳げな
かった私も友人もおかげさまでそこそこ泳げるようになった。特に友人は4種目制覇
を目標としてバタフライにも挑戦している。私は「腰痛がある人はやらない方がいい
」というコーチの勧めに従ってバタフライは早々にあきらめた。

そんな友人、実は幼少期失明で色もわかるし空間認識もあるのだが、バタフライがど
んな泳ぎかは見たことがないので全然わからなかった。
それでもコーチの動きを触らせてもらったり、手取り足取り教えてもらってどうにか
それらしく泳げるようになってきた。

ちなみに彼女は触ってわかる勘の鋭いタイプであり、以前は100kmウルトラマラソン
に出ていたような体力猛者でもあるので素質は十分ある人だ。

本人の資質とコーチの指導がマッチすれば、視覚による情報がなくても正しい泳法を
体得することはできるのだろう。しかし、そこからパラ選手レベルに持っていくのが
やはり「見たことがない」選手にはより高いハードルになるのだろうか。


更にこの本の中には水泳ネタ以外にも興味深い内容がたくさんあったのが面白かった


私は大学を卒業してから鍼灸の免許を取るため専攻科理療科にだけ盲学校に行った。
でも近頃は、特に小さいころから盲学校で勉強してきた人は鍼灸の仕事に就きたがら
ないひとが多いと聞いた。
中途障害の私は「障碍者は実学、国家資格最強」と思い、絶対にセンスはないだろう
予感がしてはいたが、敢えて鍼灸コースに行った。資格さえ持っていればどうにかな
るだろうという魂胆からだ。

反対に、先日鍼灸院をやっている視覚障害の友達と話したところ、そこの晴眼者の息
子さんが、鍼灸師を目指して専門学校に進学したという話を聞いたこと。盲学校の授
業料が二束三文なのに対して、晴眼者向けの学校はめちゃくちゃ高い。
他にも職業選択の余地がありまくる晴眼の息子さんがわざわざ鍼灸を選ぶ。飲み代程
度の授業料で資格が取れる視覚障碍者がわざわざほかの進路を希望する。これは隣の
芝生というやつなのだろうか。

一番びっくりだったのは、大学の展示受験事情。推薦じゃなくて不通に外部受験する
場合はテストの内容の漏洩を避けるために、点訳者が朝の4時くらいから試験に間に
合うように問題の点訳をしなければならない。そんな事情があるから、軽い気持ちで
記念受験なんかできないという話。
そういえば、私の知り合いの視覚障碍者で大学に行った人たちは、ほとんどが内部推
薦だったと聞いている。
その背景にはこんな過酷な事実があったのを、今回初めて知った。

大学に入ってからも大変。健常者でも地方出身の人などは友達がうまく作れなかった
なんて話も聞く中、視覚障碍者は周囲の状況もわからない。孤立して、大学を辞めて
いった先輩もいるという話は切なかった。

障壁はいろいろあれど、基本陽キャだろう木村君は学生としてもスイマーとしても充
実した生活を送っていくけれど、さすがパラアスリート、現状維持では物足りなくな
ってくる。

視覚障碍者の中にも留学経験のある人は結構いるけれど、苦労話などはあまり聞く機
会がなかったので、アメリカでのエピソードの数々は興味深かった。


印象的だったのは、あとがきで「苦難を乗り越えた話はないが、温かい人たちとのド
ラマはたくさんある。」と書いていた事。
中途障碍者に比べると小さいころから見えない人たちは不幸感が薄い印象がある。
昔「私が見えない子供が生まれたらかわいそうだから子供は作らない」と言ったとこ
ろ「見えなくても不幸ではない」と答えた先天盲の先生の言葉に衝撃を受けた事があ
る。
見えないことは不便だけれど不幸ではないという事を言う人がいるが、私はこの不便
さはもう不幸の領域だと思っている。

それはそれとして、私も見えていたころから一人になった記憶がない。
大学も実家通いだったので、いつも身近に家族や友達がいた。見えなくなってからも
それは変わらない。
見えなくなってどん底に落ちた感もあるけれど、私も思い起こせば温かい人たちとの
ドラマはたくさんある。見えなくなったからこそつながった縁もたくさんある。
ある意味私も木村君同様「気楽な障碍者」なのかな。まあパラアスリートとはレベル
は違うけどね(汗)

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,902件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?