見出し画像

見えなくても見えても声は大事

「顔は覚えているのに名前が出てこない」と言う人がよくいる。じゃあ見えない人は
どうするの?

ご想像の通り声を覚えるのである。人にもよるのかもしれないが、私はよほど付き合
いのある人じゃなければ声を覚えることができない。
会社などでたくさん人がいると本当に誰が誰だか覚えられないので、「20回くらい聞
くかもしれませんがよろしく」と言っている。一方全盲の理学療法士の友人は「患者
の声は一回で覚える」と言っていた。そう言えば、足音で誰が来たかとかその人の機
嫌がいいとか悪いとかわかる人もいた。こうなってくるともうチートスキルである。


「自分の声が好きじゃない」という人が結構いる。普段聞こえている自分の声と録音
した声が違いすぎて戸惑うからなのだろうか。私もそうだった。録音された自分の声
を聴いたとき、始めはいやいや、これ、自分の声じゃないだろうと思った。

しかし、見えなくなってからは、メモはボイスレコーダーだし、ノートは自分の声。
盲学校で勉強していた時は点字が早く読めないので、点字で書いたノートを毎日自分
の声でカセットに録音していた。テスト前はそれを聞いて勉強していたから、もう自
分の声が好きとか嫌いとかそういうレベルではなくなった。活舌だけはいいので、ノ
ートやメモが何を言っているかわからないという事はなかったので、少なくとも実用
には足りていた。


ところで盲学校では女子が皆やたら高い声で話していたのが不気味だった。
見えない人たちにとっては、長い髪と高い声が女性のアイコン。ハスキーな声の子も
頑張って高い声を出していたのが痛々しくてかわいそうだった。

友人の中にも盲学校出身でとても響きのある美しいハスキーボイスの人が何人かいる
のだけれど、彼女らは何となく自分の声にコンプレックスを持っていた。歌っても素
敵なのに何ともったいない!!

普通の学校の「見た目」が盲学校では「声」になる。弱視は見た目にもこだわるけれ
ど、おおむねかわいいアニメ越えのような女子とイケボ男子はルックスが多少いまい
ちでも何となくモテていた。逆に声は特によくないけど、美人と評判の女の子、全盲
男子にはあまりピンと来ていなかったようだった。

こういうのは盲学校特有の傾向だと思っていたが、最近はビジネス書でも声や話し方
の重要性が取りざたされていたり、クラブハウスでも「声の専門家」なるひとがルー
ムを開いていたりする。

確かに政治家の演説でも聞きにくいものには耳が傾かない。一方しゃべりが上手な人
の話は内容はともかく、何となく「そうなんだ」と思わされてしまう。


振り返って自分の声や話し方はどうだろうか。中学高校と演劇部だったし、見えなく
なってからもずっと朗読をやっているので、発声や活舌はそこそこ訓練してきている

図書館に呼んでもらって朗読をしたり、小学校で視覚障碍者の日常についてなどの話
をしたりもしてきた。一番シビアな観客と言われている子供たちも中座することなく
聞いてくれていたので、それなりに伝わったのではないかな。


以前視覚障碍者のナレーション事務所があるというのでエントリーはしたものの、宅
録で編集ができないとか点字が読めないという事で戦力外通告された。しかしよくよ
く冷静に考えてみると、根本的に声質がナレーション向きではなかったのだと思う。
テレビやラジオのナレーターさんたちの声を聴いていると自分の声は明らかに普通過
ぎる。また朗読とナレーションは技術が違うので、朗読ができるからと言ってナレー
ションができるわけではない。

ところで、録音編集で着て点字ができてナレーション声の視覚障碍者が世の中どれく
らいいるのだろうか。まず重度の中途失明者は点字を早く読むことができないので全
員アウト。でも世の中圧倒的に全盲より弱視の数が多いのだから、活字が読める弱視
なら結構いるのかもしれない。昨今のアニメブームもあり、若い視覚障碍者の中には
声優やナレーターになりたいと思っている人が結構いるようだ。食べていかれるかど
うかはともかく、会社で仕事をしながら、サイドワークでも好きな仕事に携われれば
願ったりかなったりってことになるんじゃないかな。私が見えなくなった頃はスマホ
もPCもなかったから、視覚障碍者が声の仕事ができるなんて考えも及ばなかった。そ
んな時代から比べると、今はずいぶん可能性が広がったと感心しきりである。


こんなことを書いていた矢先、NHKで「」押し声」のテレビ番組をやっていた。声優
や歌手、アナウンサーはもとより、電車のアナウンス、ひいてはお風呂の給湯器の声
までが人を癒す力を持っていることに感心。見える見えない関係なく、やはり「伝わ
るしゃべり方」は大事なようだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?