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見えなくても面倒くさくない人もいる

障害当事者から以下のような質問があった

「障害者はよく、「迷惑かけないように」といいますが、もし。あなたが健常者だっ
たら障がい者を迷惑だと思いますか?


 自分にとっては面倒かどうかと障害の有無は関係ない。
面倒な障碍者も多いけれど、障害がなくても面倒な人はいる。

今より見えていたころ、自分より障害の重い全盲の人と付き合っていたが、彼が見え
ないから面倒だと思ったことはない。彼が見えない事より一緒にいて楽しいという事
の方が大きかった。

障碍者と結婚している健常者も多くいるけれど、障害が面倒だと思ったら障碍者とは
結婚したりしないだろう。
障碍者の年金に寄生している健常者もいるらしいけれど、たいていは相手に魅力を感
じたから一緒になったはず。


結婚もそうだが、人付き合いにおいては障害は一つの属性に過ぎない。
私も気をつかわなければならない健常者と出かけるくらいなら、仲のいい見えない者
同士であちこち迷ったりぶつかったりしながら出かけたほうが楽しい。

同じ理屈で、誘導したり説明したりしなくてはならない私を誘ってくれる健常者の友
達もいる。
きっと一緒にいて楽しいと思ってくれているのだろう。きっとそうだよね。そうあっ
てほしい。


しかし実際、「面倒くさい障碍者」の話も耳にする。

以前地下にあるレストランに事前連絡なしで車椅子で来た人がいて批判の対象になっ
た事がある。
列ができる人気店だったらしいが、ぎりぎりの店員数で運営しているので車椅子を運
ぶための人員はいなかった。
結局入れなかったのかどうか覚えていないが、車椅子の人は「行きたい時に行きたい
店に行く権利は障碍者にもあってしかるべき」という主張だったと記憶している。

「こういうことを言うから障碍者は面倒くさいって言われるんだよなというのが当時
の私の感想。

しかしその人の主張も間違ってはいないと思う。

障害があるために諦めなければいけない事がたくさんあるのにさらに譲歩しろという
のか?!

もしかしたら上記の人は問題提起として炎上前提で敢えて突撃したのかな、なんてこ
とも考えてしまった

それでも現場の状況を察することはできるのだから、事前に予約をしておくのがスマ
ート。

健常者であることが前提の社会の中にうまくインクルードしてもらうには、、相手に
合理的配慮を求めるだけてはなく、自分たちもできる範囲で譲歩するのがスムーズな
のだろう。


一方こんな話も聞いた。

予備校で歴史の講義に視覚障害の人が来ていた。先生が板書が見えない彼のために、
晴眼の学生何人かに補修をしてあげるように頼んだらしい。

私はこの話を聞いて、まためんどくさがられる案件だと思った。
しかしこの話をしてくれた人が言うには、人に説明するためには自分が理解しなけれ
ばならない。補修を頼まれた学生は自分が理解した上、人に説明することによってさ
らに理解を深めることができるからラッキーだと言っていた。

なるほどと納得しつつ目からうろこだった。

私は人に余計な手間をかけさせることはなるべく避けなければならないことと自分に
刷り込んでいた。
きっと多くの障碍者はこのような呪いに縛られているだろう。
だからこそ冒頭のような質問が出てくるのだ。


キャパシティーは障害の有無に関係なく人それぞれ。面倒くさいと思うかどうかも人
それぞれ。
誰もが自分が一緒にいて快適だと思う人と一緒にいればいいのである。

それでも気づいたら周りに誰もいなくなっていたら注意信号。
ヘルパー派遣事業所にもNG障碍者と言うのがいるらしいが、少なくともそういう人に
だけはならない程度には気遣いできる人になりたい。

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