見えなくてもスキー

どうやらオリパラは決行という事らしいのでスポーツにも言及しようと思う。

かく言う私はアニメオタクなのでスポーツとは対極にいる。

それなのに子供のころは親が良かれと思い、スキーやらキャンプやら水泳やらに行か
され、それらすべてが今もトラウマになっている。

運動能力が低い上、目も悪かったのでスキーはスクールの列からはぐれて遭難しそう
になったりリフトの鉄柱の周りの穴に落ちたりした。

そんなこんなで小さいころから始めた割には全然うまくならず、大きくなってからは
スキーをしているんだかホテルのケーキを食べているんだかわからないようなスキー
ツアーに友達と参加したりしていた。

いよいよ視力が低下して盲学校を卒業した後、1998年長野で冬季オリンピックが開催
されることになった。

当時はパラリンピックはまだ新聞の社会欄に掲載されていて今のようにパラアスリー
トがメディアに登場することなどありえない時代であった。

そんな時、「日本人なら曲がれればパラに出場できる」というような間違った情報が
私のもとに飛んできた。

そして、「私、曲がれます」と勢いで体育の先生に申告してしまったところからいろ
いろな人を巻き込んだとんでも勘違い大会が始まってしまったのである。


さて、見えない人がどうやってスキーをするかと言うと、見える人に前や後ろを滑っ
てもらって、右だの左だのストップなど声をかけてもらいながら滑るのである。

え?!危なくないかって?!

正直危ないです。無謀です(笑)

その上、スキーは雪国以外に住んでいる者にとってはめちゃくちゃお金がかかるスポ
ーツなのである。

道具、交通費、宿泊代、リフトなどその他の付帯費用。

本来は伴走してくれる人の費用も選手持ちなのであるが、体育の先生もボランティア
さんも自腹でお付き合いくださったので感謝の申し上げようもない。

体育の先生はご自分の所属している東北のスキークラブの合宿に連れて行ってくださ
ったりご自分のリゾートマンションで合宿をしてくれたりもした。

ボランティアさんはなんかわけわからん障碍者のスキー合宿にもお付き合いくださっ
た。

それなのに、それなのに・・
自分の虚弱っぷりと運動無神経がうらめしすぎた。

それでも全国大会とかジャパンパラリンピックだのに何度か出場した。

視覚障碍者の女子は二人しか選手がいなかったりもしたのでビリでも銀メダルだった
りした。


私のインチキっぷりは他にもあった。

私はグランドスラローム、いわゆるGSというのとスラロームと言うのに出場した。

GSはポールの数が少なくて、ほとんどまっすぐに近いように滑る。

だからスキー板は遠心力で飛ばされないように硬くて重くて長いものを使う。

それに比べてスラロームは小回りで回るのであまり長くなく小回りが利くものを選ぶ


レースのコースは塩がまかれていてカチコチのアイスバーン、スケートリンクが斜め
になっている感じである。

だからスキー板のエッジは包丁みたいに研いでおかないとコース上に止まっていられ
ず下に落ちてしまうのである。

まだインターネットもろくになかった時代、私は現場に行くまでGSとスラロームの違
いもよくわからず、バーゲンで5000円で買った手入れも何もしていない板を持って大
会に参加した。

周りは全身タイツみたいなのを着ている人もいる中、私だけがフード付きのウェアに
ピンクのミトンだった。

私は周りがよく見えなかったがきっと場違い感がはなはだしかったに違いない。

当然パラリンピックなど箸にも棒にもひっかからず、自腹を払って協力してくれた先
生方やボランティアさんの期待には沿えず、ただただ恥をかいただけであった。

でも行ったことのない所に連れて行ってもらったり、皆で合宿したり、パラ予選に関
わっていた時間はとても楽しく、関わってくれた方々と共に、私の一生の中のかけが
えのない思い出になった。

その後私の伴走をしてくれたボランティアさんは東京の視覚障碍者のスキークラブの
スタッフになって今も八面六臂の大活躍をしてくれていて、ブラインドスキーの普及
啓発に大きく貢献してくれている。

選手としてはあまりにへぼだったけど、彼をブラインドスキーの世界に引っ張り込ん
だのは私の功績だと自負している。

相変わらず運動は苦手だが、今でも細々とスキーは続けている。

今年はコロナでツアーが全部中止になってしまったが、来年こそはまたスキーに行け
たらうれしいな。


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